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「この日は白川の下流域で、車のシートベルトの部品が見つかりました。それから毎週日曜ごとに、地元のボランティアの方々なども加わり、捜索活動を手伝ってくれました。多い時は70人もの方々が参加してくれて……。感謝の言葉しかありませんでした」

そして3週間後の24日に晃さんの車が見つかるのだが、その2日前に、卓也さんら家族は運命的な出会いをする。

 

「いつものように家族3人で現場に足を運び、崖の上から川の上流域を眺めていました。そこに山岳救助の経験があるという方が、私たちを捜して来られたんです。それで24日に、まだ下りたことのない上流域に入る予定であることをお話ししたところ、その方が所属する山岳クラブのメンバーでサポートするとおっしゃってくれました。心強かったですね」

 

卓也さんらは、捜索活動と並行しながら、白川の下流域周辺の家々を一軒一軒訪ねて回ったそうだ。

 

「私たちが気づかない手がかりが下流域に流れ込んでくるかもしれないので、車の写真と特徴や色などを書いたポスターやチラシを400枚刷って配りました。皆さん心配してくれて……たくさんの人たちに応援してもらっていることを感じました」(忍さん)

 

行政による捜索活動が打ち切られたからといって、諦めるわけにはいかない。自分たちだけでも晃さんを探し出す――。この家族の執念が人々の心を動かし、支援の輪が広がっていったのだろう。晃さんの優しさを感じる、心温まるエピソードがある。語るのは、兄の翔吾さん。

 

「2年ぐらい前に、子どもの頃から飼っていた犬が老衰で亡くなったんです。亡くなる直前に弟から電話があり、“最後にリキちゃん(犬の名前)に声を聞かせてあげて”と。それでリキの耳元に自分の携帯を近づけたんですね。本当に優しい弟でした」

 

4月16日未明の本震が起きる1時間前まで、晃さんと一緒にいた親友・西川真生さん(22)は、「いまでも現実を受け入れることができない」と、苦しい胸の内を語る。

 

「14日の前震で家が断水していたので、晃が水を持ってきてくれたんです。15日の21時半頃でした。それから晃の車でご飯を食べに行って、ドライブをした後に家まで送ってもらいました」

この時、すでに日付は16日、時間は0時半頃だった。

 

「家に着いた時はまだ話の途中だったので、それから5分ぐらい話をしました。恋愛の相談を受けたり、お互い好きな漫画『四月は君の嘘』が映画になるので“見に行こうね”なんて話したりして、別れました。結果的にこれが晃との最後の会話になってしまいました」

 

晃さんが行方不明となった当初、西川さんは罪悪感に押し潰されそうになったという。

 

「なぜあの時間に別れたのか。もうちょっと一緒にいれば巻き込まれることはなかったのに……と。もう晃のご両親には顔を合わせられないと思っていました」

 

しかし晃さんの母・忍さんから「最後に会ったことに責任とかないけんね。誰も悪くないけん」と、電話で慰められ、西川さんは気持ちが少し楽になったという。晃さんの家族、そして友人たちにとって、この4カ月という日々は、長くてつらい葛藤の連続だった。

 

「捜索を続けるなか、何か手がかりを見つけたいという思いでしたが、頭の片隅にほんの少しだけ“見つけてしまいたくない”という気持ちも正直ありました。見つけてしまうと現実を受け入れなくてはいけない……そんな複雑な思いもありました」

 

そう卓也さんが話す横で、忍さんもうなずきながら、複雑な心境を明かす。

 

「見つかったことでほっとした反面、本人の確認、車の確認など、普通では経験しないことを1つ1つクリアしていかないと、晃を家に連れて帰れない。事前にそのことを心構えしているつもりでしたが、やはり現実を目の当たりにした瞬間は、言葉では表せない無念さがあふれ出ました」

 

卓也さんはインタビューの最後に、「これだけは伝えてほしい」と、記者の目を見ながら次のように語った。

 

「私たち家族がここまで動けたのも、たくさんの応援があったからこそ。そしてメディアの方々がずっと報道してくれたおかげで、全国から励ましのお手紙などもたくさんいただきました。これ大きな心の支えにもなりました。いまは皆さんへの感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございました」

 

家族に愛され、友人たちからも慕われる存在だった晃さん。その優しい魂はみんなの心の中で、永遠に輝き続けるはずだ。

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