熊本県益城町の仮設住宅に住む尾崎家は、善隆さん(36)と清美さん(31)夫婦に3男5女、8人の子どもたちがいる大家族だ。益城町は、4月の熊本地震で2度の震度7に襲われ、最も被害が大きかった町。
地震からまもなく5カ月という現在も、その爪痕は深く、倒壊したまま手付かずの半壊・全壊の建物が町のあちこちに残っている。尾崎家が地震時に住んでいたアパートも大規模半壊して、もう住めない。
地震直後は車中泊し、その後車で各地の避難所を回るが、どこもすでに満杯で入れず、一家は熊本市内の運動場公園の駐車場で車中泊を続けるしか術がなかった。清美さんは臨月だった。車中泊が4日続くと、清美さんの足がパンパンに膨れ上がった。エコノミー症候群の危険が迫っていた。
そんななか、三女・美音ちゃん(5)と次男・隆音くん(4)が通う幼稚園が、新たに避難所になると聞く。家族そろって、幼稚園の教室に入ることができたのは、車中泊を始めて1週間後の22日。すると、このときを待っていたかのように、清美さんの陣痛が始まった。
22日夕、陣痛が始まってすぐに善隆さんの車で、熊本市にある赤十字病院へ向かう。午後8時過ぎには分娩室に入ったが、清美さんは、これまで経験したことのない感覚のなかにいた。
「目を開けていられなくなったんです。力が入らない。どのタイミングで力んでいいのかわからない。痛みさえわからない感じで。意識が朦朧としているというか……」(清美さん・以下同)
看護師さんが大声で呼びかけ続けてくれていたが、「今の陣痛、痛かったやろ?」と言われてもピンとこない。避難生活の疲れが出たのかなと、清美さんは振り返る。
「ここまでくれば、無事、出てきてくれるっていう安心感もあったと思う。避難生活で絶えず、気を張ってたし。トイレがですね、水流せないでしょ。人がした上に、せないかん。あれがいちばんストレスでした。出産前だけん、清潔にしとかなっていうのに」
それでも−−。午後10時41分、2,900gの男の子が元気に産声を上げた。看護師さんが、胸元で赤ちゃんを抱かせてくれたとき、清美さんは涙を浮かべ「よく生まれてきてくれたね」とつぶやいていた。
「赤ちゃんとの対面はいつもとっても感動しますが、上の7人とはまた違った感動が……。あの地震の衝撃とか、その後の避難生活で、不安がなかったわけじゃなかったし。だから、とってもうれしかった」
5日後、退院して家族が待つ幼稚園へ戻ると、思いがけない大歓迎が待っていた。避難所で暮らす人たちや幼稚園の先生までが、まぶしそうに、はじける笑顔で母子を迎えてくれたのだ。
「わ〜赤ちゃんよ」「おめでとう!」と歓声が上がる。拍手が鳴り響いた。最初の地震から10日余り。強い余震が続くほこりっぽい町で、先の見通しも立たず、心がふさぎがちな多くの被災者にとっても、新しい命はまさに希望の光だった。
『未来』とつけられたその末っ子の名前は、物資の調達や家の片づけに忙殺されていた善隆さんに代わって、善隆さんの母・康代さん(55)が考えた。ポンと浮かんできたという。皆の明るい未来の象徴になってほしいという思いがつまっている。
「未来は不思議と周りの人を引きつける。まとめる力があるような気がするんです。今でも未来が笑うだけで、家族皆が癒される。元気になる。だけん、大人になっても、きょうだいを1つにしてくれる存在になってくれたら、母としてはうれしいな」
現在、仮設住宅で暮らす尾崎さん一家の真ん中には、ニコニコと笑っている未来くんがいる。