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静まり返ったアイスリンクにショパンのピアノ曲『バラード第1番ト短調』が厳かに流れてくる。2月16日、江陵アイスアリーナ。平昌五輪の舞台に、羽生結弦選手(23)は帰ってきた。前年11月の負傷以来、約3カ月ぶりのぶっつけ本番の試合である。

 

ショートプログラム(以下SP)。もの悲しい主旋律に乗って、羽生は流れるように滑り出す。力みのない美しいジャンプ、ステップ。ラストのスピンの回転が止まるころには会場中が総立ちだ。万雷の拍手のなか、観客が投げ入れるぬいぐるみの“プーさんの黄色い雨”がアイスリンクに降り注いだ。

 

リンクサイドにいた菊地晃さん(62)の目から大粒の涙があふれ出して、止まらなくなった。

 

「号泣ですよ。あれだけのケガをして、よく痛みに耐えて演技をした。その姿に感激してしまった」

 

今、そう話す目も潤んでいる。そして、「ちょっとごめんなさいね。思い出すだけで泣いてしまうんです」と恥ずかしそうに、頭をかいた。

 

菊地さんは、羽生の専属トレーナーとして、平昌五輪に帯同。試合直前、痛みが出ないようにと祈りを込めて、羽生の足首にテーピングを施してきた。

 

「普通なら立っているのもやっとの状態。絶対に痛いはずなんです。テーピングで痛みが抑えられるわけではありません。靱帯はボロボロ。それをガッチリ固定して、物理的に動かなくするだけです。そんな状態で、あの演技です。ここまでやれる選手に育ってくれたことも、すごくうれしくて……」

 

五輪はもちろん、世界選手権やグランプリ(以下GP)シリーズで、羽生に付き添う菊地さんの姿は、やけに目につく。失礼ながら、見た目は普通のおじさんだ。スーツやジャケット姿の多いフィギュア関係者のなかで、白髪のオールバックで、ジャージ姿の菊地さんに「誰? このおじさんは」と思う人は多かったことだろう。

 

ふだんの菊地さんは、仙台市にある「寺岡接骨院きくち」の院長。接骨院には、羽生の専属トレーナーであることを喧伝するような装飾はない。唯一、羽生との関わりをうかがわせるのは、施術所のいちばん奥にあるベッド脇の壁に貼られた、羽生とスタッフが一緒に写った集合写真だけ。

 

「初めて結弦がここに来たのは小学校2年から3年に上がるころ。近所で練習をしていて、思いっきり足首を捻挫して、お父さんにおんぶされてきました」

 

そんな出会いから15年余。菊地さんは、羽生の活躍を陰で支え続けてきた。

 

「アップで、体のブレを直し、キレを調整して、試合に送り出す。とはいっても、これだ! と、満足してリンクに送り出したことは、数えるほどしかありません」

 

’15年、世界最高得点322.40を記録したNHK杯と、それを更新し、330.43をたたき出したGPファイナルの2回だけだという。’17-’18年の五輪シーズン。菊地さんは9月のオータムクラシックを前に、羽生に呼ばれた。

 

「その時点で、結弦の足はボロボロでした。五輪2連覇を目指すプレッシャーで、夏場に追い込んで、体を酷使したんでしょう。膝関節がかなり傷んでいました」

 

オータムクラシックで、羽生はSPの世界最高記録を更新したが、11月のNHK杯公式練習で、4回転ルッツを跳んで転倒。右足関節外側靱帯を損傷してしまう。ケガの治療とリハビリに入った羽生と、菊地さんが次に会ったのは、平昌五輪のホテルの部屋だ。

 

「足首はどうだ?」と、菊地さんが聞くと、羽生は「いてぇ」と、おどけてみせた。

 

「初日の結弦は落ち着いていましたが、2日、3日とたつと、だんだんカーッと高揚し始めたんです。五輪に合わせて、ピークを持ってこられていることが、テーピングをしていても伝わってきました」

 

3カ月もの間、試合を離れていた羽生。しかし、感覚はかえって鋭くなっていたと菊地さんは言う。毎朝のテーピングも一発で決まった。ソチのときとは全然、違って落ち着いていた。羽生も、そして菊地さん自身も。

 

SPでの完璧な演技に涙した菊地さんは、感動の余韻に浸る暇もなく、リンク表面を製氷車が削った削りカスを集めた。羽生は、アイシングのとき、ブロック氷のゴツゴツ感を嫌うため、シャーベット状の削りカスを使う。

 

「試合後にアイシングをしている選手は、フィギュアの会場ではあまりいません。でも、大事なこと。負傷部位の冷却で、一時的に血流を悪くさせ、氷を外すことで一気に負傷部位に血流を流すためです」

 

羽生はショートが終わった後、報道各社の取材を受けている。その合間に急いでアイシングを施す。

 

「もうショートの感動もありません。金メダルかも、という思いもありません。とにかく“痛みが出るな、痛みが出るな”と思いながらアイシングに集中しました」

 

フリー演技前の羽生は、どこか吹っ切れたように見えたと言う。リンクの中央に向かう羽生の背中に、菊地さんは「大丈夫だ。一つ一つ丁寧にやれ」と声をかけた。

 

結果は――。冒頭のジャンプで完璧な滑り出しを見せた羽生は、2位に10点以上の差を付けて、五輪2連覇を果たす。フィギュア男子では、66年ぶりの快挙だった。

 

7月15日、菊地さんは、全日本一輪車競技大会の会場にいた。羽生のトレーナーだけでなく、5年前から、岩手県遠野町の「遠野一輪車クラブ」のトレーナーも務めている。選手を送り出すときの菊地さんの笑顔が温かい。笑顔とともに、菊地さんは選手にこんな言葉をかける。

 

「勝ったらお前の努力。負けたら俺の責任だ。思い切ってやってこい!」

 

羽生にもそう言い続けてきた。トレーナーとしての手腕もさることながら、菊地さんのいちばんの武器は、この懐ろの深さではないだろうか。その象徴である笑顔を見ると、不安が消える。選手は持てる力を最大限、発揮できる。

 

そのことをいちばんよく知っているのは羽生のはずだ。それでも菊地さんは言い張った。

 

「いや、すごいのは結弦です。結弦が素晴らしいんです!」

 

あと1カ月で’18-’19年シーズンが始まる。羽生の王者の舞いは、どんな進化を見せるのか。

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