「結婚前から選挙に出る可能性があったので、じつは悩んだ時期がありました。夫の職業が急に変わるということ、私自身が政治家の妻になるなんて考えたこともありませんでした。そんな私を見かねた父が“何を悩んでいるのか?”と聞いてきました。正直に悩みを打ち明けると、“キミは職業を選ぶのか? 相手を選ぶのか?”と言われて……。父は大正生まれの人で、“若いころの苦労というのは自分から買ってでもしなさい”と。その言葉に妙に納得して、政治家の妻になる覚悟ができたように思います」
こう語るのは、“次の総理大臣を決める”自由民主党総裁選挙(9月7日告示、20日開票)に出馬する、衆議院議員の石破茂元幹事長(61)の妻・佳子さん(62)だ。
石破議員のことを誰よりもよく知る佳子さん。じつはメディアの単独インタビューを受けるのは今回が初めてだ。“お堅い”イメージのある石破議員とは対照的に、よく笑うユーモアに富んだ佳子さん。夫・石破茂について、そして政治家・石破茂について語ってくれた。
石破議員と佳子さんは大学の同級生。’75年、2人は慶應義塾大学法学部法律学科に入学。1年生のとき、第2外国語でともにドイツ語を選択し、同じ授業を受けたのが出会ったきっかけ。大学2年の後期試験の前に、石破議員が開催した勉強会をきっかけに徐々に会話をするようになった2人。学校帰りにお茶を飲みに行ったり、週末にはドライブに行く仲に。
卒業後、石破議員は銀行員、佳子さんは総合商社に就職することが決まる。2人の関係は一時途絶えたが、それから約3年後に再会。互いの勤務先が東京・日本橋と竹橋であることが発覚し、会社の近くで一緒にランチを食べたり、デートをするようになった。
2人の交際は順調に進み、’83年9月に結婚する。結婚を機に、佳子さんは石破議員の地元、鳥取に移り住んだ。
「ずっと東京に暮らしていたので、戸惑いはありました。最初は、高齢の方とお話しするとき、方言で内容がわからないことも。でも、お義母さんをはじめ、周囲の人の助けもあって、すぐになじめたと思います」
そして’86年7月、石破議員が29歳のとき、旧鳥取県全県区より出馬。見事、全国最年少議員として衆議院議員初当選を果たした。初当選の翌年の’87年に長女が、’90年には次女が生まれている。
「夫はほとんど家に帰ってこられませんでした。そこで、玄関に夫の選挙ポスターを貼って、“お父さん。石破茂”と、娘に顔を覚えさせましたね。夫が家に帰ると、娘が“あ、ポスターの人が来た!”って(笑)」
そんな多忙な夫のために、地元を守ってきたのは佳子さんだ。選挙のときは他候補の応援でなかなか地元に帰れない夫に代わり、自ら選挙カーの候補者席に乗った。現在、石破議員の当選回数は11回を数える。こうやって夫を支えてきた佳子さんに、石破議員に点数をつけるとしたら何点かを聞いてみた。まずは夫としての点数は?
「80点ですね。信頼できる人だし、誠意がある。家事も料理から洗濯までいろいろやってくれます。マイナス20点は、残念ながら私と一緒に過ごす時間が少ないというところかな(笑)」
では、親としては何点?
「昔は子どもの運動会や授業参観にもほとんど行けませんでした。それでも娘が中学校で演劇をするときに見に行ってもらったり、高校の卒業式にも出席してくれた。娘2人は高校から夫と一緒に東京で暮らしているので、成長してからはコミュニケーションが取れているはずです。できる限り努力してくれているので70点です」
最後に政治家としての点数は?
「政治に対する姿勢が本当にまじめで嘘をつかない。だから、後援会の方たちもついてきてくださいますし、私も頑張れる。もし夫が曲がったことをするような人だったら、私は“じゃあ、好きにすれば”と言ってしまうと思います。政治家の妻という立場でありますが、同志的な気持ちで一緒に頑張れるというところはありますね。でも、まだまだ志半ばなので、80点にしておきます」