『新潮45』8月号に、自由民主党の杉田水脈議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という文が掲載された。それに対して非難が殺到したが、『新潮45』はさらに10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集を組む。特に“文藝評論家”の小川榮太郎氏は、LGBTを痴漢にたとえるなど、差別的と激しく批判された。9月25日、新潮社は「編集上の無理が生じた」として、『新潮45』の休刊を決めた。
はたして当事者たちはこの問題をどう考えるのか。LGBTを明かした、明治大学法学部教授の鈴木賢さん(58)と、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授の岡野八代さん(51)の2人の大学教授が語った。
杉田議員は、LGBTの人は「子どもを作らない、つまり『生産性』がない」としたうえで、税金を使った支援の必要はないと主張する。
鈴木:ほんとうに腹立たしいですね。支援なんてなんにもされていないんですよ。そもそも、日本国憲法では、法の下の平等が保障されていて、どんなマイノリティの人であっても幸福を追求する権利があります。また、それを具体化するために、法律を作ったり予算を決めたりする権限を与えられているのが議員です。にもかかわらず、そういう立場の人間が、特定の属性の人に対して、税金を使う必要がない、などと発言するなんて、とんでもない暴言です。
岡野:“制度を変えても、生きづらさは変わらない”と言う人もいますが、それは誤りです。LGBTに限らず、政治が作る“制度”がさまざまな“生きづらさ”を作り出してきたのです。女性の生きづらさも例外ではありません。戦前は、戦力として「産めよ、増やせよ」というスローガンが掲げられ、いち家庭につき5人の子どもを産むことを奨励する人口政策が閣議決定されました。このことで、子どもを産めない、産まない女性がどんな扱いを受けたか……。一転して敗戦後は、「少なく産んでよく育てよう」という少子化政策に変わりました。
鈴木:’07年には厚生労働大臣が「女性は産む機械」という発言したり、最近でも結婚式のスピーチで「3人産め」という政治家がいたりとか。認識は変わっていませんね。
岡野:そうです。「生産性」という言葉に象徴されるように、女性はいつも、「子どもを産む、産まない」という国家の政策に翻弄されています。働き方だってそう。生きづらいのは“制度”の問題なのです。私は、大学で政治学を学んで、そのことに気づきました。政治学やフェミニズムを学ばなければ、私は本当に自殺していたかもしれません。それまでは、こんな世の中で大人として生きる自分を想像できなかったから。
鈴木:社会の理解がないから制度が作れない、と言う方がいますが、それは逆です。制度ができれば、人は変わっていく。実際に、同性パートナーシップ制度が導入された札幌では、「これでようやく正々堂々と人に言えます」と喜んでいた同性愛の人の親御さんがいました。
岡野:制度は万能ではないかもしれないけど、何かあったときに守ってくれますからね。
鈴木:すでに、世界25カ国では、同性婚という制度がありますが、なにかマイナスなことが起きているのか、反対する人はもっと勉強すべきだと思いますね。ハッピーなことしか、起きていませんよ。要するに、いままで結婚できなかった人ができるようになっただけです。異性愛者の家族にはなんの影響もないんです。