「幼いころから、私のことをまりちゃん、と呼び優しかった母。まりちゃんがまっちゃんに変わり、まぁになり、いまは私の名前を呼びたくても、言葉を発することができなくなってしまいました」
こう話すのは、若年性アルツハイマーの母・桂子さん(70)を、自宅で介護しているフリーアナウンサー・岩佐まりさん(35)。
「自宅介護を始める5年前、ケアマネジャーさんに相談すると、『あなたは結婚・出産は諦めるの? お金はどうするの?』と反対されました。けれど、私の決意を話すと、『手伝いましょう』と力になってくださいました」(まりさん・以下同)
まりさんの介護はとにかく明るい。この秋も桂子さんの車いすを押し、飛行機で韓国旅行へ。
「私にとっては仕事や結婚、子育てと並んで、人生のなかでやりたいことが『介護』なのです」
桂子さんの病気の兆候は、’03年、まりさんの成人式の少し前から。
「まだ母は55歳でした。頻繁に頭痛やめまいの症状に襲われ、物忘れがひどく、パート先でも『大丈夫?』と気遣われるようになり、不安だったと思います」
まりさんは高校卒業後、舞台女優を目指し、大阪から上京。大手芸能事務所に所属する傍ら、アルバイトも掛け持ちし、多忙な日々を送っていた。そしてついに、’06年、桂子さんはアルツハイマー型軽度認知障害と診断される。病状は容赦なく進行し、仕事と慣れない家事に追われる日々。自らも持病を抱える父親が「桂子さんを施設へ」とすすめるなか、「お母さんは東京に引き取る」と、まりさんは安定収入を求めてアナウンス業に転身。それでも、夢を諦めたという思いはない。
「母のおかげでこの仕事を選べたのだと思っています」
’13年、桂子さんを大阪から迎えた当時のまりさんは、ケーブルテレビ局でキャスターとして勤務。朝、桂子さんをデイサービスに送り出してから出勤する日々が始まる。幸い月額8万円程度の障害年金(1級)を受けることができ、介護費用にまわすことができた。「家族に迷惑をかけたくない」と、病気を発症しても、桂子さんが年金を払い込んでいたのだ。
「いま要介護5ですが、できる限り車いすでの外出を楽しんだり、テーブルで食事をしたりすること、そしてトイレに座ることを忘れないでほしい。『不穏』という認知症特有の症状で不機嫌なときもありますが、『本人は何を伝えたいのか』と寄り添う気持ちがあれば乗り越えられないことはないと思います」
いまは司会の仕事や介護をテーマとした講演も入るため、「小規模多機能型居宅介護施設」との連携は不可欠だ。
「地方出張が入れば、泊めていただくことも可能です。急な残業のときは、連絡を入れれば夜間も延長してみてくださいます。シングル介護といっても介護サービスをうまく利用して多くの方の協力を得られているので、自分ひとりで介護しているつもりはないんです」