新藤「地元の人たちには僕らなりに20年、東京で頑張ってきたものを見てもらいたかったし、全国から集まってくれる人たちには、しまなみの美しさを知ってほしかったんです」
今年9月、デビュー20周年イヤーに突入したポルノグラフィティ。メモリアルイヤーのキックオフとして「しまなみロマンスポルノ’18~Deep Breath~」を開催。開催地を故郷・広島県にした理由について、冒頭のように話す新藤晴一(44)。ライブと公演グッズの収益金は今夏の豪雨災害の復興支援金として寄付される。
新藤「しまなみでライブをやることが決まっていたところに、災害があって。ライブができるかできなかという話もあったんですが、僕らのことを身内だと思ってくれている所属事務所が、いまそれをやることは必要、と。収益は本来僕らだけのものではないですけれど、チャリティにしようというのも、事務所がバックアップしてくれたので、やらない理由がありませんでした」
ライブが開催された9月8日は、ポルノグラフィティがメジャーデビューを果たした記念日。岡野昭仁(44)の歌声にも熱い思いが込められたことは言うまでもない。
岡野「故郷でやるライブってこんなに楽しいものか、と。思っていた以上でした。雨の降りしきるなか、駆けつけてくれたお客さんたちと時間を共有できたことが純粋にうれしかったですね。ひさびさに地元の因島でゆっくり過ごすこともできました」
故郷への思いを語る2人だが、特に新藤は、地元にいた高校時代、今とは少し違う気持ちを抱えていたようだ。
新藤「田舎の高校生が考えそうなつまらないことですけど、東京がキラキラと輝いて見えて、自分の住む場所が灰色に見えたんです。本当にショボかったんですよ、島にいたころの自分は。だからこそ、そこから離れたくて、東京に出たかった。でも、こうして25年たって、島に帰るとホッとしてしまう自分がいるし、ジレンマですね。ロックに生きたかったのにそういうわけにもいかず……」
いっぽう、新藤に誘われてプロミュージシャンの道を志した岡野は、「学生時代、いまのような人生は想像もしていなかった」のだという。
岡野「島にはすべてある、イケてると思っていた。まさに、“井の中の蛙大海を知らず”で(笑)。でも、いまとなっては、世間を知らなかったからこそ、怖さも知らずに思い切ったこともできたのかなあ、と」
20年間、活動を続けてこられた理由も、そんな怖いもの知らずの性格にあるとも。
岡野「僕らって、どこか行き当たりばったり『難しいことは考えずにとりあえずやってみるか!』みたいなところが多分にあって、何年目にこう、何曲目にこう、と綿密に計画を立てたことはありませんでした。それがよかったのか、悪かったのか。ただ、目の前にあることに全力を尽くそう! というスタイルを続けてきて、そして何よりもファンの方の求めてくれる声があったから、ここまでやってこられたと思います」
そう振り返る岡野は、40代に入ってますます声が出るようになってきたという。
岡野「いままでボイストレーニングをやってなかったからなのか、まだ使いどころがあったようなんです。自分のなかの得意なことに一つ焦点を当ててみると、まだまだ進化する可能性もあるんだな、と(笑)。大人になると難しいことを考えがちなんですけど、これからはもっとシンプルに、『ただ歌を歌っていたら楽しいわ!』というところをもっと前面に出せていけたらいいなあと思います」