沖縄発のワールドミュージック
1998年結成、今年20周年を迎えた「KACHIMBA1551」(以下、「カチンバ」)は、世界を舞台に活動を続けるバンド。サルサをはじめ世界各国の音楽と沖縄テイストを盛り込んだ、彼ららしい楽曲とパフォーマンスで魅力を放ち続けている。活動を振り返ってのエピソードや音楽にかける思いなど、中心メンバーのカチンバ4(クワトロ)に語ってもらった。
「北海道で聞いたキューバ音楽が結成のきっかけ」と語るリーダーのタロウさん。高校卒業後に仕事で北海道に行き、キューバから来たバンドのライブを見て衝撃を受けた。現地に飛んで音楽に触れたいと、熱い思いが湧き出てきたという。
「学生のころからトランペットを吹いていて、ずっと海外に行きたいと思っていました。仕事を辞め、キューバのバンドを呼んだ北海道のライブハウスでアルバイトを始めて人脈を作り、実際にキューバに行くこともできました。そして沖縄で音楽に携われるチャンスをいただけたので、帰ってきたんです」
帰沖後間もなくバンドを作りたいと強く思ったタロウさんは、カチンバを結成。サルサパーティーを企画して観客を集めるうちに自分の店を持つようになり、練習場を借りて気の合う仲間と練習を始めた。
「毎日仕事を終えて集まり、夜10時から朝の4時くらいまで練習していました。青春時代の思い出です!」
メンバー志望者はどんどん歓迎し、常に10人を超える大所帯バンドになったそうだ。
ライブに魅せられメンバーに
タロウさんと共に活動するメインメンバーの3人は、キャリアも年齢もさまざま。
「もともとライブの観客でしたが、代役でステージに立つ機会があり、そのまま居座って19年(笑)。音楽は人を楽しくします。僕らの演奏でみんなが踊ったらうれしくて幸せを感じます」と、トロンボーン担当のキケさん。
会社員だったシュウさんは、プロのベーシストになりたい思いをかなえ16年目。
「紹介されて見に行ったライブで感激し、加入したんです。理屈じゃなくて魂が踊る感覚。音は演奏技術だけではなく、グルーブ感が大切だと思うようになりました。道は自分で作ると学び、もっと勉強したくてワクワクです。やりたい事があれば、恐れずに行動するのが一番。スタッフ任せではなく、ライブやツアーをメンバーが計画するので、いろいろ経験できます」
ギターのユウイさんはカチンバメンバーと知り合いになり、8年前に加入した。
「ライブを見て、メンバーになりたいと思いました。音楽は人間性につながると実感し、日々学びがあります。ロック好きだったころは、CDで聴くきれいな音楽がカッコいいと思っていましたが、今は違います。魂に突き刺さってくる感覚が好きなんです」
中心メンバーのほかにもサブメンバーが在籍するカチンバは、ライブのテーマで編成を変える。サックスとクラリネット奏者のユイさんは、「サルサ音楽とは違うクラリネットの音色が合う、中東風の曲を演奏するライブがあり加入しました」。
「子どもが3歳のころ、ライブに連れて行ったら踊り出したんです。音楽を楽しむのに年齢は関係ないと分かり、仲間に入れてもらいました」と話すアンドレアさんもサブメンバーの一人で、ボーカルとダンスを担当している。
ライブの種類が多く、アジアツアーを経験するなどバリエーション豊富な活動で活躍を広げるカチンバ。20年の集大成となった「ワールド・ラテン・カーニバル」を終え、どんな未来を見つめているのだろう。
「沖縄の文化を伝える楽器を作りたい。例えば沖縄の木が材料の木琴などです。それを作ったり演奏するワークショップをやりながら、土地に根付いた音楽を表現していきたいです。台湾の先住民文化を知ると、音楽は歌と手拍子だけで成立する。自分たちの音楽は都会的だと気付きました。なので自然に向き合いながら、カチンバらしい音楽を残す動きを作りたい。生きて行く方法がいろいろとある現在、音楽への関わり方も多様なので、可能性を見つけて挑戦します!」
タロウさんのその言葉は、バンド活動の指針となるだろう。国際的視野で沖縄の音色を奏でるカチンバの、次の20年が楽しみだ。
(饒波貴子)
KACHIMBA(カチンバ)1551
1998年、リーダーのタロウの呼び掛けで結成した、オキナワン・サルサバンド。2001年を皮切りにラテン音楽の本場・キューバで4度の公演を行い、シンガポール、中国・台湾・韓国などアジアを中心に世界進出を果たし、現地ミュージシャンと交流を続ける。2004年からは県内学校にて芸術鑑賞会を開催している。バンド名の1551は結成当時のメンバー編成の数が由来で、現在は10名。