梅津貴昶という名前をご存知の方は多くないかもしれない。
中村勘三郎、坂東三津五郎をはじめとした、歌舞伎俳優だけでなく、東山紀之、滝沢秀明らジャニーズタレントに絶大な信頼を寄せられる舞踊家だ。
花柳流、尾上流を経て、梅津流を立ち上げ、家元となる。昨年、古希を迎えたが、現在も多くの歌舞伎俳優に振付を行うだけでなく、舞台にも立ち続けている。
2月20日に発売となった梅津貴昶氏の著書『天才の背中』(光文社)より、六代目中村勘九郎との対談の一部を紹介する。そこでは、勘九郎自身も知らなかった、名前の秘密が明かされる。
梅津 あなたが生まれるころに、永山さん(注 松竹株式会社の前会長・永山武臣氏)とか大沼さん(注 松竹株式会社の元代表取締役専務・大沼信之氏)が凝ってた易者がいたの、知ってる?
中村 え? 知りません。
梅津 その易者さんが、三つ、あなたの名前を書いてきたのよ。永山さんはその三つのなかから一つ選んだの。「父親がノリアキだから、息子はヒロアキだ」って。
中村 え、もしかして僕、ヒロアキって名前になるはずだったの?
梅津 そうよ(笑)。そうなるはずだったの。だけど、私はその三つの候補を全部聞いたんですけどね、「どれもダメよ!」って言ったの。それで「雅行(マサユキ)がいいじゃない、きれいで。生きていけそうよ」って。そうしたら、あなたのお母様の好江さんも、私の意見に賛成してくれたのよ。それで、永山さんに電話をかけて、「私ねえ、ヒロアキはダメだって思うし。永山さんたちが信じてるその易者さんもダメだと思うの。空海とか最澄みたいに立派なお坊さんならいいけどね、そんな筮竹(ぜいちく)を持って占うような人は信用ならない」って(笑)。
中村 そういう易者さんだったんですか?
梅津 そうよ、永山さんはいたく信頼していた。でも、哲明ちゃんはわりと私のことを信用してくれていたから、「もう梅津さんがダメだって言ったらダメじゃない」と。それで、おばあちゃまにも相談したら、「あんた、恵ちゃんがダメって言うならやめたほうがいいわよ」と、そう言ってくれたのよ。それで、あなたは雅行って名になったの。
中村 へえ。まさか、そんな歴史があったとは……でも、僕、一歩間違うとヒロアキだったんだ(笑)。
梅津 そうよ(笑)。
中村 ヒロアキか~(笑)。
梅津 いやでしょ、なんか(笑)。
中村 いやですね(笑)
【INFORMATION】
『天才の背中~三島由紀夫を泣かせ、白洲次郎と食べ歩き、十八代目中村勘三郎と親友だった男の話。』
価格:1,500円+税
出版:光文社
https://www.amazon.co.jp/dp/4334950736