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毎週金曜は、TBSラジオ『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント(MP)』の公開放送の日。商店や銭湯、町工場など訪れた場所は1万3,000カ所、今年10月には放送50周年を迎えるという長寿番組で、毒蝮三太夫さん(82)は第1回からパーソナリティを務めてきた。

 

現場で高齢者に呼びかける「ババア」「ジジイ」といった愛ある毒舌も、唯一無二の話芸として今ではすっかり市民権を得ている。MPの放送時間は約30分だが、本番を終えてからのフリートークのほうが長い。政治から介護問題まで鋭く洒脱な説法が1時間以上も続くことも。

 

「年寄りも、健康でいれば医療費の削減につながって、日本全体も元気になるってもんだろう。だからオレは、元気で、チャーミングなババア、ジジイをたくさんつくりたいんだよ」

 

まむしさんの毒舌も痛快なMPが始まったのは、ちょうど50年前の33歳のとき。当初は、もちろん毒舌はなかった。きっかけは、放送4年目に母親のひささんが75歳で亡くなったことだった。

 

自分が愛した母はいないのに、現場に行けば、いつもながら元気印のおばあさんがいる。そんな思いでいたとき、つい口からこぼれたのが、このひと言だった。

 

「オレのお袋は死んだのに、このババアは元気だな」

 

当然、TBSラジオには抗議が押し寄せた。しかし……。

 

「局もスポンサーも、『下町育ちのまむしさんならではの愛ある挨拶です』と味方してくれた。ありがたいと思ってるよ」

 

’86年からは帯番組が『大沢悠里のゆうゆうワイド』となり、月~金までの10時30分から毎日放送され、MPは名物コーナーとして定着していく。

 

やがて、「老いのプロ」としてのまむしさんに各方面から声がかかるようになる。’93年、日本老年行動科学会特別顧問就任、そして’99年に始まった聖徳大学(松戸市)短期大学部社会福祉学科の客員教授の講義は現在も続いている。

 

突然の腸閉塞での入院は、’05年の大みそかのこと。実はこのときS字結腸がんも発見され、7時間もの大手術を受けていた。この入院中、まむしさんは、ある発見をする。

 

「いい患者にならないと損だということ。無愛想だったり、悪態ついてる患者より、感謝の気持ちで接したほうが、お医者さんも看護師さんも、早く治してあげたいと思うのが人情だろ。で、思うんだ。年寄りも同じだって。まわりや若い人から、かまってあげたくなるようなかわいい年寄りにならないと損だと。若い人に嫌われないババア、ジジイになるためには、やさしい気持ちと、服装なんかも清潔にして、あとはとにかく笑顔。これは基本だし、いちばん効く」

 

今から3年前の1月、80歳の誕生日を目前にして、まむしさんは、「終活の第一歩」として事務所の社長を、弟子の千葉潤一さん(54・芸名:はぶ三太郎)に譲った。続いて、ラジオの現場は、月~木の週4日というペースの2年間を経て、昨年4月からは現在の金曜午後だけとなった。

 

まむしさんは、引き際は自分が最初にわかるはず、と語る。

 

「オレは、はっきり言って、運がいい。空襲やチフスもがんも乗り越えられた。仕事も途切れずに続いてる。だけど、いちばんの強運は、カミさん。これは大当たり中の大当たり! だからこそ、その運を返さなきゃとも思うんだ。これは、『幸せの量は決まってるんだよ』と言い続けた、お袋の教え。今の82のオレにできることはなにか。それで、思ったんだ。まずはオレが率先してチャーミングなジジイになって、お手本になることじゃないかってね。だから、お声がかかれば、日本中、どこへでも駆けつけようと思うんだよ。70歳や80歳で気弱になんかなってられねえじゃないか。だって、ババアなんて、ほんとに貫禄が出るのは90過ぎてからだぜ!」

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