沖縄県那覇市山下町で地域の人々に愛されてきた創業64年の「ペリーもち屋」が4月30日、閉店した。店主の照屋トシ子さん(94)はほとんど休まず店に立ち続けてきたが、高齢のため引退を決めた。最後の1週間は連日、閉店を惜しむ人々が長蛇の列をつくった。トシ子さんと、店を手伝う息子の和男さん(68)は「1週間に64年間が凝縮されたよう。感無量です」と感謝した。
山下町は戦後、米軍が日本の陸軍大将・山下奉文を思わせる地名を嫌い「ペリー区」に変えたとされる。後に「山下町」に戻ったが、今も「ペリー」と名の付く店が残る。
ペリーもち屋は55年、トシ子さんと夫の故・忠男さんが現在の沖縄セルラースタジアム那覇付近で開業した。「周囲にない」という理由でもち屋を選び、独学で理想の味を追求した。あんこを炊くシンメーナービは親戚からのもらい物。沖縄戦で弾丸が貫通した跡をふさいで使った。トシ子さんは「これも艦砲ぬ喰(く)ぇーぬくさーだよ」と語る。
奥武山公園が整備された際に公園の南側に移転した。2002年から和男さんも餅作りを手伝い始めたが、店番はトシ子さんが一日中務めた。徹底して「お客さん本位」。休みは正月と旧正月、敬老の日だけだ。「敬老の日に年寄りが仕事してたら笑われると思って」とトシ子さん。
商品はウチャヌク(御願で使う3段の餅)のほか、50円均一のあん餅、よもぎ餅、黒糖餅など。柔らかい生地と上品な甘さのあんが評判だった。ウチャヌクの最上段の餅を甘く味付けした20円の餅は子どもたちに人気で、いつしか「ペリーもち」と呼ばれるように。数年前に他の商品を値上げした時も、ペリーもちだけは据え置いた。遠く名護市から買いに来る常連もいる。「『こっちの餅じゃないと食べない』と言ってくれるのがうれしい」
94歳とは思えないほど元気なトシ子さんだが、約3カ月前に左腕を骨折し、一時は片腕で作業していた。3月末で閉めるつもりだったが、餅の需要が多いシーミーを待って4月末で幕を下ろした。
閉店を知ったある常連は泣き、別の常連は毎日並んで買い求めた。
トシ子さんらは閉店後も1週間ほど、お世話になった人々に贈る餅を作り続けた。手際よく餅を仕上げていくトシ子さんに今後やりたいことを尋ねると「どこにも行ってないから遊ぶ。本土にいる子どもや孫を訪ねたい」とほほ笑んだ。
(伊佐尚記)