患者が続々と入っていく都内にある総合病院の正面玄関口――。6月11日の朝9時半、どこか疲れた表情でそこから出て来たのは、将棋界の第一人者・羽生善治九段(48)。玄関前に妻・理恵さん(48)が運転する車が止まっていた。
羽生といえば、6月4日に歴代単独1位となる公式戦通算1千434勝を達成し、最多勝記録を27年ぶりに塗り替えたばかり。そのわずか1週間後、羽生は重い足取りでゆっくりと歩を進め、後部座席のドアを開けると体をかばうように車へ乗り込んでいった。本誌記者が羽生の姿を目撃した約2時間後に理恵さんがツイッターでこう明かしていた。
《人間の病院に来ています。予約無し、紹介状無しだと2時間待ちなうです》
どうやら羽生は本誌の目撃後、車内で診察待ちをしていたようだ。その日の夜6時、理恵さんは羽生の病名を公表。
《羽生が以前より不調を訴えていた右足の踵の痛みを調べて来ました。アキレス腱炎・アキレス腱付着部症です。アキレス腱に引っ張られて踵の骨が突起状に裂け激痛で普通に歩くのが今困難です》
普通、足を酷使するスポーツ選手がかかることが多いというこの病い。理恵さんは《同じ姿勢を長時間続けた変形かも知れず》と、夫の棋士としての“宿命”をおもんぱかった。
33年間、計2千局以上にも及ぶ対戦で、朝9時から深夜にまで長時間に及んだ大決戦も幾度となくあった羽生。2年前、棋士が主人公の映画『3月のライオン』公開イベントで、主演の神木隆之介(26)が羽生に「正座がきつかったです」と打ち明けると、羽生はこんな意外な本音も明かしていた。
「棋士もきついです(笑)。気合が入ったときや“この一手”というときに居住まいを正して正座で指すことが多いんです」
踵の“爆弾”は羽生も以前から意識していたようだ。昨年1月、都内で開催されたトークショーで「食べすぎると正座がキツくなってしまうので日常的に気をつけています」と、正座が負担にならない工夫を語っていた。須田整形外科クリニックの須田均院長は言う。
「アキレス腱は40歳半ばを過ぎてくると足首の動きが鈍くなってきて、運動などしていなくても痛むことがあります。羽生さんの場合、棋士という職業柄、スポーツとは逆に同じ姿勢で動かないことでアキレス腱が硬くなり、だましだまし我慢しているうちに炎症につながった可能性があります。外科的な処置はなく炎症が落ち着くまで待つしかありません」
羽生にとっては「正座病」ともいえるこの病い。理恵さんも夫の今後の療養生活について、ツイッターで周囲の理解を強く求めている。
《そこで、今後の取材、収録、公式戦等の折に通常の速度で歩く事が困難でご迷惑をおかけする事がある事、普通の靴が履けませんので、今後暫く申し訳ありませんが踵を踏むビジネスバブーシュを着用する失礼をお許し頂けます様、何卒宜しくお願い申し上げます》
歴代最多勝会見で、ここまで勝ち星を積み重ねてきた要因を羽生は自分でこう分析。
「もちろんもう30年以上もやっているので負けるときも結構あります。修正とか反省はしないといけないとは思っているんですけど、ある程度、終わったところからはきれいさっぱり忘れて、次に臨むことは長く続けていくうえでは大切なことなのかなと思っています」
前人未踏の記録を打ち立てた大棋士ゆえの職業病。理恵さんの支えで体を“修正”し、羽生は今後も記録を伸ばしていくはずだ。