那須御用邸でのご静養に向かわれる天皇ご一家を、大勢の市民が出迎えた8月19日の那須塩原駅前。ご交流は30分以上続いたが、途中でこんなひとコマがあった。
「暑い中、ありがとうございます」と人々にお声がけされていた陛下。ハンカチでお顔の汗を拭きながら、笑顔で「ハンカチ王子」とつぶやかれたのだ。
「これには集まった人たちからドッと笑い声が上がり、雅子さま、愛子さまも破顔一笑。しばらくの間、周囲が笑顔で包まれました。ご一家の様子を拝見していますと、陛下が若いころから話されている『国民の中に入っていく皇室』を、ご即位後すぐから実践されているのを感じます」(皇室担当記者)
陛下は子供のころから、いわゆる“親父ギャグ”を好まれてきたと明かすのは、学習院初等科時代からのご学友だ。
「中等科のころ、演奏会で『G線上のアリア』を演奏された陛下が、私たちに『最近盆栽に凝っているんだ』とおっしゃったのです。友人の一人が『それじゃ、ジイさんだね』と言うと、陛下が『だから、ジイさん(G線)上のアリアなんだとよ』とお答えになって、みんなで大笑いしました」
陛下に負けず劣らず雅子さまも、記者会見などでユーモアに富んだ発言をされることが多かった。ただ当時は、積極的に発言される雅子さまに「しゃべりすぎ」といった心ないバッシングが浴びせられることもあったのだ。
それでも雅子さまは発言することを恐れず、’96年12月にはご結婚後初めての単独記者会見に臨まれた。この会見では欧米マスコミの「皇室に馴染めずに雅子さまはうつ状態」といった報道に対する、こんな切り返しもあった。
《今、脳内モルヒネとかというものがちょっと話題になっているようですけれども、そんなものも私の場合、それなりに出ているのか、うつ状態とかそういうことは全くありません》
しかし’03年12月、雅子さまは体調不良で入院。その後、適応障害と診断された。
「理不尽なバッシングやネガティブな報道であってもユーモアでかわされてきた雅子さまでしたが、精神的に限界だったのでしょう。それ以来、雅子さまのユーモアは影を潜めてしまったのです」(前出・皇室担当記者)
’02年12月を最後に、現在まで雅子さまが記者会見に臨まれたことは一度もない。陛下のご即位後、堂々としたお振舞いで脚光を浴びる雅子さまだが、適応障害を完全に克服されたわけではないのだ。ご静養先での取材でも、まだ緊張は大きいと思われる。
精神科医で立教大学教授の香山リカさんもこう語る。
「雅子さまも一般の人たちと会話されるときには、皇后としての品格を見せなければと身構えるところもおありだと思います。そんなとき、陛下がいつもと変わらずパッと笑いが出るような会話でその場を和ませてくださることで、雅子さまもふだんと同じ自然体でお話しになれるのでしょう」
かつて陛下は、夫婦円満の秘訣をこう語られた。
《相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考えること。そして、お互いによく話し合い、また、大変な時にも、「笑い」を生活の中で忘れないように、ということ》
「雅子を笑顔に!」そんな天皇陛下の“愛の奮闘”に支えられ、雅子さまのご活躍はこれからも続く――。