「昨年9月7日、5大ドームツアーの東京公演2日目のことです。錦戸さんが公演終了後にメンバーがスタッフに『外してもらえますか?』と申し出て、ひそかに6人だけの会議を行ったんです。内容は関ジャニ∞の解散について。控室での話し合いは1時間半に及んだものの、結論は出ないままでした。村上さんは『関ジャニはもうダメかもしれない……』と漏らしていました」(芸能関係者)
9月末日で関ジャニ∞を脱退し、ジャニーズ事務所も退所することが明らかになった錦戸亮(34)。15周年記念ツアー「十五祭」が終了した直後の“退所宣言”だけに、ファンに衝撃が走った。昨年4月には、渋谷すばる(37)が脱退を決断。メンバー同席のもとで会見を行っている。そのとき錦戸はこう語っていた。
「僕ら自身も6人でこれからやっていって。すばるくんに『どうや』と言えるような僕らでいたい」
だがそれからわずか5カ月後のツアーで、錦戸は“関ジャニ解散”について話し合っていたのだ。そして今回の退所宣言。決断の陰に、いったい何があったのか。そこには、グループへの愛情と自らが思い描く未来との狭間で揺れ動く葛藤の日々があった――。
関ジャニ∞は02年に8人グループとしてデビューした。だが05年に内博貴(33)が脱退。その後は7人で地道に活動を続け、今日の地位を築き上げてきた。昨年には安田章大(34)に脳腫瘍が見つかり、摘出手術を受けることに。今こそ団結しなければ……。そんななかで渋谷が脱退。錦戸のショックは大きかったという。
「錦戸さんは常々、『7人のうち、誰かが抜けたらもう関ジャニじゃない』とも言っていました。会見では渋谷さんを送り出したいという思いから『6人でやっていく』と表明したものの、動揺は隠しきれませんでした。渋谷さんのことを特に慕っていましたから……。それでも錦戸さんは必死に渋谷さんの穴を埋めようと頑張っていました。しかし『このままでいいのか?』という疑問は、日に日に膨らんでいったといいます。そして解散や自らの進退について考えるようになっていたようです」(前出・芸能関係者)
渋谷は今年1月に個人事務所を設立。4月には自主レーベルとファンクラブを設立し、先月にはSNSアカウントを開設。10月にはアルバム発売が決定するなど、次々と新たな道を歩み始めた。また交流の深い赤西仁(35)の存在も大きかったようだ。
「赤西さんも14年にジャニーズ事務所を退所し、国内外へと羽ばたいています。しがらみもなく自由に活躍する友人の姿を見て、錦戸さんは考えさせられたといいます」(前出・芸能関係者)
彼らのようにこれからはグループではなく、個人でどこまでできるか試してみたいーー。錦戸は、昨年の5大ドームツアー以降もメンバーと話し合いを続けてきたという。
「ほかのメンバーも、彼の新しい挑戦を理解しなかったわけではありません。しかしグループやファンのことを考えると、慰留せざるをえませんでした。それに関ジャニがここで止まることになれば、誰が関西勢のJr.たちを引っ張っていくのか。そんな思いから、説得を続けたといいます。しかし、錦戸さんの思いは変わりませんでした。ヒートアップするあまり彼が『もうグループのためだけに我慢するのは嫌だ』と発言して、口論になったこともあったと聞きました。結局、約5回にわたって会議が行われました。そして今年3月、ついに結論が出ました。最終的に5人は、錦戸さんを前向きに送り出すと決めたのです」
錦戸は個人事務所を設立しており、今後は個人で俳優業と音楽活動を行っていくという。
「錦戸さんは俳優として数多くの作品に出演してきました。それだけに『芝居だけは負けたくない』という思いが強いんです。今後は特に映画や舞台に意欲を燃やしていて、将来的にはハリウッドも視野に入れているみたいです。音楽活動も続けていくつもりです。特に中国などで成功している赤西さんの活動をロールモデルに考えていて、海外展開も視野に入れているそうです。親交が深いミュージシャンの斉藤和義さん(53)からもアドバイスを受けていると聞きました」(テレビ局関係者)
先の見えぬ不安を取り払うかのように、すでに走りだしていた錦戸。8月29日、彼はブログにこんなメッセージをつづっている。
《後になってあれがあったからって言えるような未来を作ればいいんだ。きっと》