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お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹さんが、3作目となる小説『人間』を10月に刊行した。今回が初の長編。主人公で38歳の男性「永山」が誕生日に古い知人からメールを受け取ったのを機に苦い過去と向き合うというストーリー。昨年9月から今年5月までの毎日新聞での連載をまとめたもの。第3章では又吉さんの父の出身地である沖縄が舞台となっている。今作が生まれた背景について又吉さんは6月に沖縄で開催したトークライブで語っている。『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』の著者・橋本倫史さんとのトークライブから、又吉さん自身のルーツである沖縄での思い出や小説「人間」が生まれた背景などを前編・後編に分けてお届けします。

 

夫婦喧嘩で父と名護へ

 

橋本:僕は『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』という本を出したんですけど、沖縄出身というわけではないんです。生まれ育ったのは広島で、初めて沖縄を訪れたのは小学生の頃。又吉さんは沖縄にルーツをお持ちですけど、生まれは大阪ですよね?

 

又吉:僕は大阪で生まれですけど、父親は名護で生まれ育って、高校を卒業してすぐに大阪に出たんです。母親は加計呂麻島の出身で、高校卒業後に大阪で働いていて、そこで父親と出会って結婚。両親ともに琉球諸島の出身で、食事も沖縄の料理が普通に出てきてて。でも、僕はそれを沖縄料理だと認識してなかったから、小学校の頃に同級生と「昨日何食べた?」みたいな話をして、「ゴーヤと……」と言った瞬間、周りから「ゴーヤって何やねん」と言われてましたね。今はゴーヤで通じますけど、80年代の頃だとニガウリって言わな伝わらなかったんです。

 

橋本:最初に沖縄に来たのって、何歳のときだったんですか?

 

又吉:多分1歳のときが最初。そこから2、3年に1回は沖縄に帰ってきてましたね。これは人前で言う話じゃないですけど、僕が5歳ぐらいのときに両親が喧嘩して、父親と2人で名護に帰ってきたんです。そのとき、何ヶ月か名護に住んでいて、ようやく慣れてきた頃に母親が迎えにきて大阪に戻ったんですけど、沖縄と言えばそのときの記憶が一番大きいですね。父親に「仕事手伝え」と言われて、5歳やのに、リヤカーいっぱいに土を積んだのをひとりで運んでて。ほんなら僕と同世代の地元の子たちが、周りでずっと「ぬー」「ぬー」と言うてて。どういう意味かは分からんけど、多分悪口なんやろなと勝手に解釈しながら、ずっと土を運んでたんです。でも、僕がリヤカーを倒してもうたら、ずっと「ぬー」と言うてた子たちが近づいてきて、一緒にリヤカーに土を戻してくれたんです。

 

橋本:まわりの子たちからすると、大阪からやって来た子っていうのは珍しかったんでしょうね。僕が初めて沖縄に来たのは1990年代に入った頃でしたけど、当時はまだ今ほど観光客が多くなかったですよね。

 

沖縄っぽさは毛の濃さくらい?でも「特別な場所」

 

橋本:お父様のご実家は名護ですが、那覇の牧志公設市場のあたりに足を運ぶ機会もあったんですか?

 

又吉:親戚がこっちのほうにいたんで、市場のあたりもうろちょろしてましたよ。大阪にも市場はあるんですけど、沖縄の市場の雰囲気はそれとも違っていて、最初、アジアという感じがしたんですよね。そのあとに台湾やインドをまわったとき、なんで懐かしい感じがすんのかなと思ったら、「そうか、沖縄で見たあの雰囲気に似てるんやな」と。

 

橋本:又吉さんの中では、懐かしさに近い感覚があるんですね。僕は小学生の時に家族旅行で訪れておきながらも、2013年まではほとんど沖縄を再訪することがなかったんです。僕は広島出身なので、学校でも平和教育を受けて育ちましたし、祖母も被爆しているので、戦争の話を聞く機会が多かったんですね。だから、家族旅行で沖縄を訪れたときも、ステーキハウスや青い海が印象に残りつつも、やっぱりひめゆりの塔のことが強く記憶に焼きついていて、大人になってからもなかなか来れずにいたんです。

 

転機となったのは、今日マチ子さんという漫画家の方が、ひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた『cocoon』という作品。この漫画が2013年に舞台化されることになり、稽古を始める前に皆で沖縄を巡ろうということになって、その旅に僕も同行したんです。旅の初日は6月23日――沖縄で組織的な戦闘が終結した慰霊の日――で、皆と一緒に平和祈念公園で開催されている戦没者追悼式にも参列しました。それ後はできる限り足を運ばなければと思い毎年6月には沖縄に来ていたんです。又吉さんは自分のルーツが沖縄にあって、それを言葉にすることに対してどういう感覚がありましたか?

 

又吉:テレビで僕のことを観てくださっている方はなんとなく感じているかもしれないですけど、大阪で生まれ育ったのに、「なんか大阪っぽくないよな」と子どもの頃から言われてましたし、自分でも感じてたんですね。じゃあ沖縄っぽいかというと、腕毛が濃いぐらいで、ほかに沖縄らしさもなくて。東京に住んで20年なので、人生で一番長く住んでるのは東京なんですけど、関西弁使ってるんで、東京っぽくもなくて。沖縄も大阪も東京も好きなんですけど、「ここが僕の居場所です」と宣言できる自信はないんですよね。

 

ただ、沖縄は僕にとって特別な場所ではあるんです。それは、父親のルーツやっていうのが大きいんですけど、橋本さんがおっしゃっていたように、沖縄の歴史について学んでいくと、戦争というものから目を背けるわけにはいかないじゃないですか。でも、南部の戦跡を観てまわるようになったのは、僕もここ5年ぐらいですね。

 

「その後」も続く物語

 

橋本:又吉さんの新刊「人間」の第3章は沖縄が舞台になっています。

 

又吉:この小説を書く前に、なんとなくの予感として、沖縄というものが関わってくるんやろうなと思ったんです。その時点ではどんな小説にするか決めてなかったんですけど、沖縄に一人で来て、いろんな本を買って読んでましたね。実際に「人間」を書いてみると、第3章は沖縄が舞台になって。そこで最終的に焦点を当てようと思ったのは、普通の営みをしながら暮らしている人だったんですけど、そこはまだ書ききれなというとこもあって、うちの親の雰囲気や、自分が見てきたものを書くって方に今回はいきましたね。

 

橋本:「人間」は又吉さんにとって初の長編小説でもありますけど、タイトルがすごく広い意味を持つ小説ですよね。このタイトルで、終盤の舞台を沖縄にするというのは、早い段階で決められたんですか?

 

又吉:「人間」と聞いて思い出すのは何やろうなと考えると、やっぱり親やったんですよね。自分が一番興味のある対象で、自分が一番見てきたのは親やなと。両親のルーツは琉球諸島にあるんで、それで「ちょっと勉強しよう」と思って、いろいろ読んでたんやと思います。

 

橋本:「人間」は新聞に連載されていたときにずっと拝読していて。連載が最終回に近づいたところで、主人公の永山が両親と一緒に、古宇利大橋を訪れる場面があるんですよね。ドライブしながら永山が母親と会話をしていると、父親が唐突に「おまえら、ちゃんと景色見てるか」と問いかける。それに対して、母親がずっと見ているんだけど、父親が「そういう見方じゃないねんな」と不服そうに言う場面があって。その「ちゃんと景色見てるか」って、すごい言葉だなと思ったんですよね。

 

又吉:全てのせりふをちゃんと意図しているわけではないんですけど、主人公の父親がいかにもあの場面で言いそうだなと思って書いたんです。

 

橋本:あの父親の言葉を、いろんな場面で思い返すんです。僕が『市場界隈』の取材を始めたきっかけは、第一牧志公設市場が建て替えになると知ったからなんですね。建て替えが始まると、界隈の風景は大きく移り変わってしまうだろうなということで、風景が変わってしまったあとで懐かしがるんじゃなくて、その風景がまだあるうちに書いておきたいということで、このタイミングで本を出版したんです。

 

ただ、公設市場の建て替えというのは大きな節目ではありますけど、僕が取材をしてきた1年の間に閉店してしまったお店もたくさんあるんですね。そうして移り変わる風景のことを、自分はどこまで見ているだろうかってことを、お父さんの台詞とともに思い出すんです。

 

又吉:そこまで意図して書いたわけではないんですけど、そういうふうに読んでもらえるのはすごくうれしくて。『市場界隈』を読んだとき、『人間』という小説と似てるなと思ったんです。特に『人間』の第3章は似てるな、と。小説はなにか劇的なことが起きて、ハッピーエンドなりバッドエンドなり、物語が終わっていくことが多いんです。でも、例えばその小説で描かれているのが20代の若者の恋愛やとしたら、その劇的な出来事が終わったあとも70年ぐらい人生は続いてしまって、劇的な瞬間よりもそのあとの人生のほうが長いじゃないですか。僕は『火花』の中で「生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ」と書いたんですけど、ほんまにその通りやなと思ったんですよね。

 

沖縄における戦争の記憶というのはとても劇的なものだと思うんですけど、それと同時に、終戦の日のあとには戦後って時間が続いているわけですよね。『市場界隈』という本は、「戦争のことももちろん忘れたらあかんけど、戦後のこともちゃんと見なあかん」という視点で書かれている本やなと思って、そこが『人間』と近い感じがするんです。

 

日常を生きる美しさ

 

橋本:僕が沖縄に足を運ぶきっかけになったのは、ひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた『cocoon』という作品。戦争が終わりを迎えたところで物語も終わりを迎えるんですけど、この作品を観終えたときに、「この時間の延長線上に今があるんだな」と思ったんです。戦争が終わった次の日から今に至るまでにどんな時間が流れてきたのか知りたいって気持ちがあって。『市場界隈』を書いたのは、今の場所に市場が形成された過程は戦後のあゆみと重なるので、それをささやかな言葉で記録したいなと思って書いたんです。大げさに戦後史を語るのではなくて、そこで働く人の姿や言葉から書き残せないかな、と。

 

又吉:『人間』という小説は、38歳を迎えた主人公が、20代の頃に経験した劇的な出来事を振り返りつつ、今の自分が直面している問題と向き合っていくんです。それを第1章と第2章で書いたんですけど、第3章はそんな主人公のその後を描くんじゃなくて、主人公が自分の両親と対面する時間を描きたかったんです。主人公は表現というものに携わりたいと思って生きてきたけど、両親はただ普通に暮らしていて、主人公はそんな両親の姿を見て「これはまさに人間の姿やな」と思うんですね。両親は何気ない日常を生きていて――何気ないというのは、無意味であるということではなくて、それこそが美しいということですけど――『市場界隈』もそういう視点で書かれた本で、そこがすごく共通するのかなと思いましたね。

 

橋本:『市場界隈』で最初に取り上げたのは「上原果物店」というお店で、それを最初にしたのにはいくつか理由があるんです。それは、市場の中でいち早く営業を始めるお店だってこともあるんですけど、「上原果物店」の信吉さんに話を伺っていると、自然と戦時中の話が出てきたり、「戦後は米軍相手に商売してたんだよ」という話になったりして、まさに戦後の出発点の話を伺えたんですね。そういう話が、ごく日常的な話を伺っている中に出てくるのが印象深くて。

 

又吉:つながっているんですよね、結局。

 

橋本:そうなんです。考えてみれば当たり前のことですけど、普通の生活の中に歴史や政治が大きく影を落としていて、それはすごく印象的でしたね。

 

移り変わる風景と矛盾する感情

 

橋本:今日のトークイベントは「移り変わる風景の中で」というタイトルをつけましたけど、今年の2月に東京でトークしたとき又吉さんは、「よく行くバーがもうすぐ閉店する」って話をされていて。その後、実際にお店は閉店してしまいましたけど、閉店する前とあとで又吉さんの心境に変化はありましたか?

 

又吉:そうですね。東京の下北沢にあったバーで、深夜2時ぐらいに仕事が終わって、ひとりでお酒のみたいなと思ったときに、たまたま入ったバーやったんです。ずっと通ってた店が、今年の3月で店を閉めることになって、最初はやっぱり動揺したんですよ。「居場所がなくなる」と。お店が閉まるは寂しいことなんですけど、たとえば人間だっていつかは死んでしまうじゃないですか。でも、死んだことによってその人の価値が失われるわけではないですよね。そう考えると、そのタイミングでお店を完結させることは、悲しいこととは限らないな、と。漫画でも、100巻続いている漫画は偉大やし素晴らしいと思いますけど、「2巻で終わったけどめちゃくちゃ面白い」という漫画もありますよね。その2巻を愛することもできるかから、「あの店があったことを素敵なことやと思おう」と決めたんです。ただ、閉店してからの数ヶ月の間に、「あの店がないのは相当キツイな」と思う夜は3回くらいありました。あの店があの形のまま終わりを迎えたことに「ありがとう」って気持ちもあるし、「あの店があってくれたら」という気持ちもあって、一見矛盾するような二つの感情が僕の中にあるんですよね。

 

橋本:その二つの感情のことを、僕も今回の沖縄滞在中に考えていたんです。今の建物で最終営業日を迎える前日、公設市場を歩いていると、市場で働いている方たちが「また明日ね」と言って帰って行かれてたんです。お客さんはちょっとセンチメンタルな気配を漂わせてるんですけど、市場がなくなってしまうわけではなくて、最終営業日を迎えたら次の日からは仮設市場への引越し準備をしなきゃいけなくて、そこで働く人たちはもうすでに未来を見据えている感じがあって。そう考えると、最終営業日というのはただの日付でしかないんだなと思ったんです。

 

でも、実際に最終営業日を迎えてみると、何年も前に引退したかつての店主たちが市場にやってきたり、店主のお孫さんたちが手伝いにきてたり、ちょっとした同窓会みたいになっていて。最終営業日はただの日付に過ぎないけど、そのおかげで久しぶりの再会も生まれている。その風景を眺めていると、こういう日が定期的にあってもいいかなと思えたんですよね。

 

<後編に続く>

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