画像を見る

「『VERY』はママのイメージが強かったので、初めは『私でいいのかな?』と思いました。でも自分が表紙の『VERY』が発売されて、今はすごく嬉しい。私がカバーになったことで、枠を越えて、多くの人たちに『VERY』を楽しんでもらえるキッカケになったらいいなという気持ちでいます」

 

そう語るのは、モデルの矢野未希子(33)だ。矢野は「VERY」20年1月号から同誌のカバーモデルに抜擢された。「VERY」は今年、創刊25周年。そのタイミングでの起用は、大きな注目を集めることとなった。

 

「カバーモデルって、すごく特別なこと。だからプレッシャーもあります。『VERY』は歴史ある雑誌ですし、守るべきものもあると思うんです。でも、変わっていくべきところは変わっていく。そういうことのお手伝いができればいいなって思います」

 

矢野は「責任が大きい」と話すが、いっぽうで「自然体でありたい」とも明かす。

 

「実は『VERY』のカバーモデルが決まってから、もっとラフでいたいなって思うようになったんです。これまでは撮影の前となると、ハードなトレーニングやメンテナンスをしていたんです。でも『疲れてるけど撮影だから……』という気持ちで行くのはやめようと思うようになりました。力むのを止めることで、自然体になれる。そうすることで、撮影にもいい影響が出るんじゃないかなって思えるようになったんです」

 

昨年、「Oggi」のカバーモデルを卒業。その直後、「VERY」に起用されることとなった矢野。多忙な日々が続くなか、夫の存在に助けられているようだ。

 

2人は12年11月に結婚。当初から家事に積極的な夫は近ごろ、料理にハマっているという。その結果、2人の関係に変化があったと語る。

 

「家でご飯を食べるとき、2人で作るようになったんです。私がおみそ汁を作っていたら、夫が横でお魚を焼くとか。そうして分担するようになったんです。スピードも速いし、効率的で楽ですね。何より共同で作業すると夫婦の時間も増えるので、すごくいい。会話も増えました。結婚8年目で、私たちの関係が『すっごく変わったな』と思います」

 

矢野はモデルになるため18歳で上京し、それから15年が経つ。「モデルになりたい!」と明かしたとき、両親の反応は両極端だったようだ。

 

「お母さんには『無理だから! 人生甘くないんだから!』と言われました。でも、お父さんは『自分がやりたければ』という感じでした。そのころの私は将来の夢がなくて。お洋服好きだし、『とりあえず東京行きたい!』くらいに思っていたんです。当時の事務所のサポートもあって上京しました。でも仕事が全然なくて、オーディション巡りばかり。専属だった雑誌もすぐに潰れちゃって、『あー、これからどうやって食べていこう』と思っていました(笑)」

 

しかし、次第に「美的」や「non-no」といった名だたる雑誌にモデルとして起用されるように。そして29歳で「Oggi」のカバーモデルを務めることが決まった。

 

「年間のカバーは『Oggi』が初めてでした。ちょうど編集長が変わったタイミングで、直々に大抜擢していただいたんです。大事なタイミングに私を選んでくれたし、『絶対にこけたくない』という気持ちがあって。仕事以外の時間は全部メンテナンスに使って、撮影の前日も集中するように。当時は雑誌のことだけしか考えないくらい、真剣にやらなければと考えていました。でも、夫が『頑張り過ぎないようにね』と心配してくれて……。それもあって、今では自然体を心がけるようになってきました」

 

華やかな世界に生き、SNSを通して日々の充実ぶりを伝える矢野。しかし、それは紆余曲折ある道のりで自ら掴み取ったものだった。だからこそ「VERY」のカバーモデルとなった今も冷静に、そして客観的に自らを見つめているようだ。

 

「モデルの仕事はいつまで続くかわからない。ネガティブに聞こえるかもしれないけど、本当によく思うんです。カバーモデルなんて、なおさらです。ずっと続くってことは仕事に限らず、何においてもない。だから『VERY』のカバーを撮影しているときも『今の気持ちや周りの人たちとの景色を忘れないように覚えておこう』という気持ちで撮影に臨んでいます」

 

自身がカバーモデルを務めることで「読者の皆さんに共感してもらって繋がりたい」と話す矢野。「もっと触れ合いたい。距離を縮めたい」とも意気込む。

 

「“矢野さん”じゃなくて、“ミッコ”ってどんどん呼んでほしいですね! 両親がミッコってつけてくれて、物心ついた頃からそう呼ばれているんです。ファッションを伝えるだけの役目ではなく、『自分の感覚を大事にする』というマインドも伝えたい。繋がって、一緒に成長していきたいと思っています」

【関連画像】

関連カテゴリー: