(写真:森田直樹/アフロスポーツ) 画像を見る

「ゴールした瞬間は、ほんま腰ぬかしそうになるぐらいうれしかった。“よかった〜”のひと言や。このレースまでに娘を励ましたり、発奮させるために暴言を吐きまくったことが、走馬灯のように頭の中を巡りました」

 

ハイトーンの関西弁で喜びを語るのは、1月26日、大阪国際女子マラソンで優勝した松田瑞生選手(24)の母・明美さん(54)だ。

 

2時間21分47秒の好タイムでの優勝。タイムで選ばれる、東京オリンピックマラソン女子代表の3枠目の最有力候補に躍り出た。

 

だが、ここに至る道は平たんではなかった。昨年9月15日に行われた上位2位までが五輪代表に内定する選考会、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)ではまさかの4位。一時は引退を考えるほど落ち込んでいたという。

 

そんな娘の姿を見て、ハッパをかけたのが明美さんだ。

 

「“もう立ち直られへん”とか言うから、“あんたは負けて落ち込んでるかもしれへんけどな、私はラッキーや”って、返したんです。瑞生が“なんで?”って聞くから、“日本新記録のタイム出したら、(日本陸連から)賞金1億円もらえるやん。残りのオリンピックの選考レースで1億円もらって、出場権もオマケで付いてきたら、ラッキーやろ?”って(笑)。そしたら瑞生が“お母さん、ほんまムカつくな! 自分で走ってみいや!”って」

 

娘が落ち込んだとき、走れなくなったとき、いつも明るく厳しい言葉で元気づけてきた明美さん。二人三脚で歩んできた母娘は、いま東京五輪という夢舞台にあと1歩のところまで迫っている。

 

鍼灸院を営む明美さんは、午前9時から夜10時まで働き、掃除や片付けを終えた後、翌日の料理の仕込みをするという生活を長年続けてきた。

 

毎朝7時に起きて、寝るのは深夜3時。夫とともに3人娘(瑞生選手は次女)と末っ子の長男を育てた、まさに絵に描いたような“肝っ玉ママ”なのだ。

 

「瑞生は小学校から中学1年生まではバスケットボールをやってましてね。私もバスケの審判をやったり、お弁当を作って練習場に持って行ったりして、当時は今よりもっと大変でした。仕事も忙しかったから、睡眠時間が1時間ぐらいのときもあったね」

 

「女性自身」2020年2月25日号 掲載

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