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歌手で女優の宮城まり子さんが3月21日に死去した。各紙によると死因は悪性リンパ腫で、93歳だったという。

 

55年に発表された「ガード下の靴みがき」などのヒット曲で知られる宮城さんは「NHK紅白歌合戦」にも計8回出場した。58年には日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」で声優を務め大きな話題に。そのいっぽうで68年、肢体の不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」を自ら設立。長年、園長を務めてきた。

 

「ねむの木学園の設立当初、日本には福祉の精神が根付いてませんでした。今でこそ『障害の有無に関係なく、違う者同士で認め合おう』という考えが共有されていますが、宮城さんはそんな理念を半世紀以上も追い求めてきました。いわば障害者福祉のパイオニア的存在です」(全国紙記者)

 

本誌は17年4月、宮城さんに取材をしている。宮城さんは取材で小学校の特別支援学級を訪ねた際、知的障害のある子の教育がないがしろにされていることに疑問を覚えた。また脳性麻痺を持つ少女を演じた縁で、親に捨てられるなどして生活の場や学校教育も与えられていない障害児がいるという悲しい現実も知っていた。そこで「だったら、私がこの子たちのお家を建てよう」とねむの木学園の設立を決意したという。

 

その思いをサポートしたのが作家・吉行淳之介さん(享年70)だ。「昨日今日、言い出したらやめなさいって言うけど、ずっと思い続けていたみたいだから、いいでしょう」と応援してくれた吉行さんはねむの木学園の名付け親であり、学園の理事も引き受けてくれた。

 

2人は籍を入れず、事実婚状態だった。宮城さんは「淳ちゃんと私はとてもいいコンビでした」と回想しながらも、「もし“淳ちゃんの妻”になっていたら、ねむの木学園は続けられなかったと思います」「淳ちゃんの子供を産んでいたら、私たちのベタベタしない、兄妹みたいな、互いを思いやる関係は成り立たなかったでしょう」と明かしていた。

 

「宮城さんは園児たち一人一人に向き合っていました。また礼儀を学ぶために茶道も取り入れるなど、独自の教育方針で常に『何がいいのか』を自問自答。その思いは並々ならぬものでした。また宮城さんにとって吉行さんは初恋の人でもありました。その思い出を糧に、最後まで子供たちを見守り続けたのです」(前出・全国紙記者)

 

産経新聞によると上皇ご夫妻も宮内庁上皇職を通じ、ねむの木学園に弔意を伝えられたという。ネットでは、宮城さんの功績を讃える声が上がっている。

 

《ねむの木学園の展覧会や映画で活動を知り、障害に対する見方を様々に変えてくれた方です》
《世の中に尊敬すべき役者がいるとすれば、彼女を指すのでしょう 優しさと強さを併せ持った素晴らしい方でした》
《上皇様ご夫妻のご弔意が故人の人柄と業績を物語っておられると感じました。ご冥福をお祈りいたします》

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