「ほかの噺家さんと違ってね、僕には『生まれてくることは普通じゃない』っていう、無常感がずっとあるんです」
37年、東京・日本橋に4人きょうだいの長男として生まれた林家木久扇さん(82)。小学校1年のとき東京大空襲を体験して以降、森永乳業の社員、漫画家デビュー、とさまざまな職を経験したが、根底にあったのは『生きてて得した』という気持ちだったという。
そして、落語家としてデビューして60周年の今年。いまや『笑点』メンバー最年長となった木久扇さんに、今までの道のりを語ってもらった。
「漫画家に戻ろうと思えば戻れたんですけど。でも、お客を笑わせる快感を覚えてしまってましたからね……」
三代目桂三木助師匠のもとに入門し、わずか5カ月で、三木助ががんで急逝。新しい師匠・八代目林家正蔵は、三木助の「木」と、自身の名から「蔵」の字を入れた名前を授けてくれた。こうして61年3月、「林家木久蔵」が誕生。同月には、新宿末廣亭で正式に初高座も踏んだ。
「ところが、出番直前に先輩が『短くな!』って言うんです。持ち時間が短縮されちゃった。困っちゃいましてね。当時、森山加代子の『月影のナポリ』って歌が大流行していて、僕もよく口ずさんでた。それで思い切って、その歌を2番まで、高座で歌ったんです」
前座が初高座でいったい、どんな落語を披露するのやら……興味津々だった楽屋の先輩たちはあぜん。散々、小言もちょうだいした。すっかり落ち込んでいたところに、助け舟を出してくれたのが三遊亭全生、のちの五代目三遊亭圓楽だった。
「みんなが怖い顔してるなか、1人だけゲラゲラ笑ってくれて。寄席で顔を合わせるたびに『今日の高座は、何歌うんだい? ガハハハ』って(笑)。それがね、のちに『笑点』であんなに長くお付き合いするようになるんですからね、不思議な縁ですよね」
65年、二つ目に昇進。「青春楽屋石田三成」を自任する気配りで、多くの師匠から目をかけられるようになっていく。彼の楽屋働きを注視していたのが七代目立川談志だった。談志は「木久蔵は気が利く、俺が湯に行くってえと、ひげそりまで用意してくれる」と言って、褒めていたという。
その談志が自ら企画し、司会をつとめていたのが、66年から放送が始まった『笑点』。彼は、まだ二つ目だった木久扇さんをたびたび「若手大喜利」に起用した。そして69年。司会を降り衆院選に打って出た談志と入れ替わるようにして、木久扇さんは『笑点』の大喜利メンバーに抜擢された。
「いざ、『笑点』のメンバーに入ってみると、(桂)歌丸さんは『ハゲ』、(四代目三遊亭)小圓遊さんは『キザな若旦那』、圓楽さんは『星の王子さま』と、皆さんキャラが確立してる。僕なんか、まるで大きなデパートが立ち並ぶ通りの隙間に、小さなコンビニが開業したようなもの。悩みましたよ。収録終わりにプロデューサーから呼ばれて『木久ちゃん、どうにも面白くないな』って注意もされました。やばい、このままだといずれクビ、そう思ってました」
同じころ、NHKで始まったのが高橋英樹主演の『鞍馬天狗』。木久扇さんは、これに目を付けた。
「僕は『天狗の木久ちゃん』でいこうと決めて、大喜利の答えのなかに、天狗のおじちゃんを慕う角兵衛獅子の『杉作』の名をやたらと盛り込んだり、『杉作、日本の夜明けは近い』という大佛次郎さんの原作にもないフレーズを創作したりしたんです」
アイデアはものの見事に的中。鞍馬天狗役でCM出演を果たし、ほかの番組からも「天狗の木久ちゃん」へのオファーが殺到した。そして73年、35歳で真打に昇進。82歳になった今、落語についてこう話す。
「僕の作る落語はドキュメンタリー。高座でそんな数々の失敗談を話せば、お客さんも喜んでくれる。誰も傷つけない話題ですから、どんどん話して、自分も一緒になって笑うんです。古典落語が好きだからとか、日本の伝統芸能を守りたいとか、そんな気持ちは全然ないんですよ。『え、これ、いただいていいんですか? 嬉しい!』って、そんな気持ちでずーっと60年、きちゃった(笑)」
『生まれてくることは普通じゃない』、『生きてて得した』。そんな思いのもと、近年は本の執筆にYouTuberデビューなど活動の幅を広げる木久扇さん。これからも、落語はもちろん、さまざまなアイデアで人々を笑わせてくれるだろう。
「女性自身」2020年8月18・25日合併号 掲載