「受けるより与える方が幸い」と笑顔で話す當山フミさん=4日、読谷村瀬名波 画像を見る

 

【読谷】「きょうはどんな楽しいことがあるかねぇ」。笑顔でそう話すのは、読谷村瀬名波で1人暮らしする當山フミさん(100)。自宅の中をつえを突きながらゆっくり、ゆっくりと歩くが、頭の中は常にフル回転。「おしゃべりが長生きの秘訣(ひけつ)かねー」。100歳とは思えぬ張りのある声が応接間に響き渡る。

 

1920年生まれのフミさんは8人きょうだいの長女。幼い頃から家の手伝いに追われ「遊んだ記憶がない。今でも足腰が丈夫なのは厳しい母のおかげ」。学校は小学校の6年間しか通っていないという。

 

20歳で結婚したが、沖縄戦で徴兵された夫は長女が生まれた数日後に戦死した。戦後は保険の勧誘や電気料金の集金などで生計を立て、女手一つで3人の子どもを育て上げた。「とにかく貧乏で、たくさん苦労したよ」。子どもの進学や将来への投資のためにお金を借りたこともある。それでも子どもたちに不自由はさせまいと、歯を食いしばって前を向いた。

 

子育てを終え40代に入ると、自由民主党の中部地区婦人会会長を務めるなど、選挙活動にも熱心に取り組んだ。「政治は生活に直結するため、一生懸命考えて投票しないといけない」という信念を貫き、国政選挙から区長選挙まで、これまで投票を欠かしたことがないのも自慢だ。

 

50代からは海外旅行を楽しみ、67歳からは琴も始めた。自宅の壁に貼られた、大ファンという予備校講師の林修さんの写真を指さし「思い立ったら吉日。何事もやるなら『今でしょう』」とちゃめっ気たっぷりに笑う。

 

1人暮らしで「家事も掃除も体のために全部自分でやる。近くに家族がいるから大丈夫」と断言する。孫10人、ひ孫22人に恵まれた。毎週土曜日に自宅に家族が集まるのが何よりの楽しみ。カレーライスやラフテーなど自らごちそうを振る舞うこともあるという。長男の彰健さん(80)は「昔から教育熱心で真面目な性格だった。たくさん苦労したからこそ情け深く優しい。一日でも長く母の元気な姿を見ていたい」と話す。

 

「笑う門には福来る、笑いは体の栄養素」。フミさんは「これからも“人生のモットー”を実践したい」と述べた。
(当銘千絵)

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