首里城の正殿前で撮影された女学生の集合写真(伊礼吉信さん提供) 画像を見る

 

【沖縄】沖縄市諸見里にある歴史民俗資料展示館「諸見民芸館」の館長伊礼吉信さん(72)が首里城の正殿前で撮影された写真に関する情報を求めている。はかま姿の女学生の集合写真で、1908(明治41)年に首里城内に校舎が移転した首里区立女子工芸学校の学生とみられる。専門家によると、明治後期から昭和初期に撮影されたとみられ、同時期の女学生の写真資料は少ないことから「当時の女学生の様子を知る手掛かりになる貴重な資料だ」と話した。

 

写真は、米軍キャンプ・キンザー内の沖縄戦資料館で館長を務め、沖縄関連の資料などを収集していたデーブ・デーブンポートさんが米国で入手。約20年前に伊礼さんが譲り受けた。

 

女学生が身に着けるはかまの波線模様が、瑞泉同窓会が発行した「首里高等女学校百周年記念誌」に収録された写真と類似。旧県立首里高等女学校の前身である首里区立女子工芸学校の学生とみられる。

 

那覇市歴史博物館の外間政明学芸員は、はかまの波線模様について同時期に首里地域には複数の学校があったことに注目し「他の学校との区別や技芸学校の女学生としておしゃれの意味があったかもしれない」と話した。また、荒廃した首里城の様子などから正殿の解体工事が始まった1927(昭和2)年以前に撮影されたものだと推測した。

 

前列の学生の髪型が日露戦争後に日本で流行した「二百三高地まげ」で、リボンを着けている学生もいることから「おしゃれを楽しんでいた様子が分かる」とも話した。

 

ひめゆり平和祈念資料館の前泊克美学芸員は「首里城前で撮影された写真は珍しい。明治期の女学生の様子について新たな発見があるかもしれない」と期待した。

 

伊礼さんは「何か知っていれば情報提供してほしい」と呼び掛けている。

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