コザ騒動50年を振りかえるシンポジウムで意見を述べる登壇者ら=13日午後、那覇市泉崎の琉球新報ホール(喜瀨守昭撮影) 画像を見る

1970年のコザ騒動から20日で50年を迎えるのを機に、沖縄アジア国際平和芸術祭2020実行委員会と琉球新報社は13日、「コザ騒動50年を問うシンポジウム」を那覇市泉崎の琉球新報ホールで開いた。沖縄国際大学名誉教授の石原昌家氏、同大非常勤講師の大城尚子氏、音楽家の喜納昌吉氏、元高等弁務官第一等特技官の主和津ジミー氏が登壇し、コザ騒動の意味などについて議論を交わした。約150人の聴衆が耳を傾けた。

 

石原氏は発生当日と数日後の新聞などから、群衆による騒動ではなく「『コザ反米軍市民蜂起』が適切だ」と位置付けた上で「人間としての誇りを取り戻した日であり、焼き打ちの間は人間解放区となっていた」と述べた。

 

大城氏は、新聞や研究者らの言葉を念頭に「暴動や暴徒という言葉は支配者の使う言葉だ」との見解を示した。その上で「現代の言葉にどう訳していくかを考えていくべきだ」と話した。

 

主和津氏は、自身の生い立ちを絡めて「ウチナーンチュでもあり、アメリカ人でもあるということで大変な迷いがあった」と複雑な心境を語った。当時の米民政府(USCAR)のジェームス・B・ランパート高等弁務官と現場を車で視察したことにも触れ「(高等弁務官は)話はしなかったが、責任者の立場で胸が痛かったと思う」と当時を振り返った。

 

喜納氏は「あのときのエネルギーとは何だったのか。最も独立に近いエネルギーだった。復帰運動とは、アイデンティティーとは、を考える時期にきている」と述べた。

 

シンポジウムを前に、当時撮影された映像の上映や喜納氏らによるパフォーマンスなどもあった。

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