「今回の瑞生の走り、泣けましたね〜。よく立ち直ってくれた。あれだけ強風のなかで優勝したんやからよう頑張った! 100点満点……と言いたいけど、レース後にあんなに泣いたらあかんわ。もっとかわいらしく(テレビ)映ってほしかったなぁ〜(笑)」
ハイトーンの関西弁で、ユーモアを交えながら喜びを語るのは、3月14日の名古屋ウィメンズマラソンで優勝した松田瑞生選手(25)の母・明美さん(55)。娘の“大泣き優勝”を誰よりも喜ぶ理由は1年前のあの悔しい出来事があったからだ。
’20年1月26日、瑞生選手は大阪国際女子マラソンで、日本歴代6位(当時)の2時間21分47秒の記録で優勝した。この時点で残り1枠だった東京五輪代表の切符をほぼ手中にしたかと思われた。
ところが、同年3月8日の名古屋ウィメンズマラソンで、一山麻緒選手(23)が、瑞生選手の記録を上回る好タイムで優勝。五輪代表の切符は瑞生選手の手からするりとこぼれ落ちてしまった。
それから371日ーー。どん底から這い上がってきた“浪速のマラソン女王”。その裏には娘を支える母の姿があった。
■「お母さんの茶碗蒸しがいちばんおいしい」
大阪で鍼灸治療院を営む明美さんは夫とともに3人娘(瑞生選手は次女)と末っ子の長男を育てた“肝っ玉ママ”だ。毎朝9時から夜10時まで働き、掃除や片付けを終えた後、翌日の料理の仕込みをするという生活を長年続けてきた。毎朝7時に起きて、寝るのは深夜3時。
「それでも、食事にはずっと気を使ってきました。昔からうちにはレトルト食品はない。すべて私の手料理です」
瑞生選手の強靭な肉体は母の手料理によって培われたものだ。高校を卒業してから瑞生選手は実業団のダイハツ所属となり、離れて暮らすようになった。
代表落選後の失意の一年を、「親としては、ホンマ何もしてあげられなかった」と明美さんは謙遜するが、娘が実家に帰るときはいつも“母の味”で出迎えたという。
「あの子は茶碗蒸しが大好きでね。具材は鶏肉、椎茸、エビ、三つ葉を入れたシンプルなものなんですが、私が作る茶碗蒸しが“いちばんおいしい”って言います。最近は、湯引きしたささみのごまあえ、鶏のハツとにらをしょうがで炒めたものとか、アスリートが喜びそうな食事をたくさん作ってあげます。落ち込んでいる時期に、昔ながらの母親の味を食べるとリラックスできたのかもしれませんね」
■秘密の儀式は2日前のケーキ
今年の名古屋ウィメンズマラソンの直前に、明美さんは名古屋入りした。
「大きな試合の2日前に、瑞生の体を鍼でメンテナンスすることが、“必勝パターン”なんです」
体の調整のほかに、実はもう一つ、2人だけの“秘密の儀式”があると、こっそり教えてくれた。
「瑞生と一緒にケーキを食べること(笑)。大阪国際女子マラソンでは2回優勝したんですが、両方とも2日前にケーキを食べました。だから今回も2日前に名古屋のホテルに着くなり、フロントで“このあたりでおいしいケーキ屋さんはどこですか?”と聞いて、すぐに買いに行って。その日の夜、2人でいちごのショートケーキをおいしくいただきました」
母からの温かい愛情に守られながら臨んだレースは、猛烈な強風のなかでの開催となった。選手たちを先導するはずのペースメーカーが次々と離脱するという前代未聞の過酷な展開になったが、瑞生選手は22キロ付近から独走態勢となり、圧勝で“復活”Vを果たしたのだ。
レース後、日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(64)は、「強風を差し引けば1分半から2分ぐらいタイムがよかった可能性もある」と、彼女の実力を絶賛した。
さらに、スポーツジャーナリストの増田明美さん(57)も、優勝会見で質問に立ち、「(東京五輪)日本最強の補欠!」とエール。瑞生選手の力走は、多くの人々に勇気と感動を与えるものだった。
東京五輪“最強の補欠”の称号を得た瑞生選手。本人も「出場する選手と同じ気持ちで準備したい」とコメントしていたが……。
「私の中では、やっぱり正式に代表選手となって出場してほしいですね。パリ五輪まであと3年。その代表選考会が始まるのは2年後だから、もうすぐですよ。それまで悔しい気持ちを持ったまま、パリに私を連れてって!」
明美さん! あなたこそ、“最強のオカン”ですよ(笑)。
「女性自身」2021年4月6日号 掲載