住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に刺激を受けたアーティストの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。
アマチュアバンドのメンバーが集い、’82年に結成されたレベッカは、メンバーの入れ替えを繰り返し、’84年に『ウェラム・ボートクラブ』でデビュー。
3枚目のシングル『ラブ イズ Cash』で初めてオリコンにチャートインすると知名度が高まり、中山秀征、湯江健幸(現・タケユキ)主演のドラマ『ハーフポテトな俺たち』(’85 年・日本テレビ系)のエンディング曲となった『フレンズ』で、全国区の人気となった。
「男性メンバーの前に立ち、女性ボーカルが歌い上げるバンドスタイルをポピュラーにしたのは、レベッカの功績といえるでしょう。独特の声が魅力のNOKKOさんの存在は、とりわけ異彩を放っていました。声を絞り出すように、少し屈んだ状態から全身を使って歌いだす姿が印象的です」
そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。
『フレンズ』は、NOKKOが中学時代のボーイフレンドをイメージして作られたといわれている。
「レベッカの曲は壮大なテーマというより、思春期の少女の等身大の気持ちを表現した歌が多く、当時の中学・高校・大学生にとって、自らの体験に落とし込みやすかったのだと思います」
歌唱スタイル、曲調ばかりでなく、ファッションにおいても、当時、世界的にヒットしていたマドンナやシンディ・ローパーをほうふつさせた。
「振りかざす細い腕や大ぶりながら繊細に揺れるアクセサリーも、レベッカの曲の世界観にある“女子の微妙な思い”を伝えました」
その勢いは止まらず『RASPBERRY DREAM』(’86年)、『LONELY BUTTERFLY』(’86年)、『MOON』(’88年)とヒットを連発。バンドブームの牽引役となった。さらには『てっぺん、リバティ』『でじたるざんまい』といったキャッチコピーが記憶に残る、SONYのオーディオコンポ『Liberty』のCM出演も果たしている。
「中森明菜さんと、日本レコード大賞を受賞した『DESIRE』(’86年)をパイオニアがCMソングに起用したように、当時は一流オーディオメーカーのCMに出ることが、ミュージシャンのステータスともされていました。レベッカが起用されたのも、’80年代、彼女たちが日本のミュージック・シーンに名を残す存在だったからこそです」
レベッカは’91年に惜しまれながら一旦解散したが、’15年より活動を再開している。