上皇ご夫妻は4月26日、赤坂御用地の仙洞御所(旧赤坂御所)にお引っ越しされた。
《先々には、仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが、かつて30年程住まったあちらの御所には、入り陽の見える窓を持つ一室があり、若い頃、よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います》
美智子さまが、赤坂へのお引っ越しを待ち望む思いを綴られたのは、’18年10月、84歳の誕生日のこと。それから3年半、上皇ご夫妻の体調不良やコロナ禍を乗り越えて、ようやく転居が完了した。
引っ越しにあたって、エレベーターの設置などの改修工事が施された。ただ、私室部分こそ完成しているものの、すべての工事が完了したわけではないという。
「それでも、美智子さまは“一日も早く上皇陛下と赤坂に”との思いを強く抱かれており、工事中のままの転居となりました。その思いの背景には、上皇陛下がご在位中から、認知症が疑われる症状を訴えていらっしゃったこともあったのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
上皇ご夫妻の側近も、上皇陛下の誕生日に公表する文書で《お年を召され、上皇后さまにいろいろとお尋ねになることが多くなられたようにお見受けします》《ご高齢となり、時折お歳相応にお忘れになったり、ご記憶が不確かになられることはおありですが》などと、その症状を明かしている。
コロナ禍の、皇居よりずっと狭い高輪皇族邸での暮らしでも、美智子さまはこの2年間、精いっぱいの工夫で“対策”に奮闘されてきた。起床後はまず、お庭を一緒に散策。朝食後には毎日、お二人で本の音読をされる。夕方にも散策をされ、夕食後には上皇陛下は侍従とお話しになる。こうした日課の多くは美智子さまの提案で進められたという。
パークサイド脳神経外科クリニックの近藤新院長はこう話す。
「日常の中でお散歩をされたりするのはとてもいいことです。同じコースの散歩でも天候や季節の移り変わりなどが刺激になりますし、体を動かすことも大切です。心身への刺激を絶やさないようにすることが大切なのです。一般論としてですが、いわゆる認知症の方の場合ですと、環境が変わるというのは脳への刺激が加わるという点ではメリットがありますが、リスクもあります。心の部分で適応ができないということもまれに起きるのです」
実は、美智子さまが、上皇陛下の“環境の変化”を懸念され、これほどまでに懸命に取り組まれた陰には、上皇陛下の母・香淳皇后の存在があった。30年ほど前に、美智子さまは当時交流していた親しい友人に次のように打ち明けられたことがあったという。
「皇太后さま(香淳皇后)は、昭和天皇がお亡くなりになったことも、十分におわかりになっていない。それに生活環境が急に変わってしまえば、皇太后さまに大きな打撃を与えることになってしまう。だから皇太后さまには、いまでも皇后さまでいらっしゃるような気持ちで過ごしていただきたい」
上皇ご夫妻は、’93年12月に皇居の吹上に新たに建設された御所にお引っ越しされたが、香淳皇后は昭和天皇とお暮らしになった御所に、そのままお住まいになった。このことは、“美智子さまが香淳皇后を古い建物に押し込めている”といった形でバッシング報道にもつながった。
だが実際には“慣れ親しんだ場所で暮らし続けてほしい”という、香淳皇后への思いがあったのだ。
懐かしい赤坂の地で、上皇陛下と美智子さまは穏やかな日々を過ごされることだろう。