天皇陛下と雅子さまは、10月22日と23日に沖縄を訪問された。陛下はご即位後初めてのご訪問だったが、雅子さまにとっては1997年以来、25年ぶりとなった。久しぶりに宿泊をともなう地方でのご公務であったものの、雅子さまのご体調には変化もなく、両陛下は無事に行幸啓を終えられて安堵されているご様子だという。
「東京から沖縄まで飛行機で移動するにも2時間半前後かかりますし、ご到着されても行事が立て続けに入っていて、両陛下がゆっくり休まれる暇はありません。同行した職員によれば、帰京後の両陛下からもお疲れのご様子が見受けられたそうです。
しかし、1カ月以上前から体調を整えられるなど準備を重ねてこられたほど、雅子さまは今回の沖縄ご訪問に熱意を注がれてこられました。無事に全日程を終えられ、両陛下も安堵されていると聞いております」(宮内庁関係者)
両陛下は、那覇空港にご到着されてすぐに、糸満市摩文仁の丘にある平和祈念公園へと向かわれた。太平洋戦争末期、沖縄では住民を巻き込む凄惨な地上戦が繰り広げられ、多くの民間人が犠牲となった。なかでも同地は、日本軍が降伏するまで抵抗を続けた激戦の地として知られている。
「戦後、地上戦で多くの犠牲者を出し、長くアメリカの占領下におかれた沖縄県民に向き合い続けてきた皇室は、沖縄訪問のたびに、空港からすぐに平和祈念公園に向かうことが慣例となっています。
両陛下も、空港から公園内にある国立沖縄戦没者墓苑に向かわれ、納骨堂の前で供花されて深々と拝礼されました」(皇室担当記者)
ご拝礼の後、両陛下は戦没者の遺族にお声がけをなさった。20人あまりが並び、両陛下は一人一人にお声がけされていた。このお声がけの間に、周囲が慌てる事態が起きていたのだ。
「集まった遺族の平均年齢は約80歳と高齢でしたが、両陛下がお話されているとき、ずっと立って待っていました。両陛下は『どうぞ椅子にお座りください』と声をかけられていたのですが、それでもまだ順番が来ていない人は、立ったままだったのです。
一通り遺族とのご交流が終わろうとする直前に、両陛下とのお話しが終わった男性が、椅子に座ろうとして後方によろめいたのです。その時、雅子さまがとっさに男性の体を支えようと、お手を差し伸べられつつ、身を乗り出されたのです。
幸いにも、すぐ側にいた人が男性の体を支えて何事もありませんでしたが、とっさの心配りは、いかにも雅子さまらしい気遣いだったと思いました」(取材した皇室担当記者)
この日、同地の気温は30度近くあり、両陛下が遺族とお話しされていた時間帯には、強い日差しが降り注いでいた。
「それだけに、両陛下のご到着前から待っていた高齢の遺族たちは、暑さで疲れていたことでしょう。両陛下が戦没者墓苑を後にされるときにも、先によろめいた男性が立ち上がって見送ろうとしましたが、両陛下はすぐ足を止められて、『どうぞお座りになってください』と優しくおっしゃっていました。
慈愛に満ちた現地での細やかなお心配りは、雅子さまが皇后としてのお気持ちをしっかりと国民に示された場面だったと思いました」(前出・皇室ジャーナリスト)
11月には、「全国豊かな海づくり大会」へ出席するために兵庫県明石市を訪問される雅子さま。コロナ禍でご公務の自粛を余儀なくされ、一時期は遠ざかった国民との距離を、一歩ずつ縮められているーー。