1998年の紅白歌合戦で産休から復帰した安室奈美恵さん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。

 

「安室奈美恵さんは、’92年にスーパー・モンキーズのメンバーとして『恋のキュート・ビート』などでメジャーデビューを果たしたものの、まだ全国的な知名度はありませんでした。小田茜さん主演のドラマ『いちご白書』(’93年・テレビ朝日系)、『ポンキッキーズ』(フジテレビ系/’94~’97年出演)と徐々に露出を増やし、エイベックスの松浦勝人氏の目に留まります。アーティストとして大きな転機となったのが、松浦氏のプロデュースによる『TRY ME~私を信じて~』(’95年)でしょう」

 

そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。

 

時を同じく、人気のカラオケ歌番組『THE夜もヒッパレ』(’95~’02年・日本テレビ系)にレギュラー出演し、突出した歌唱力やダンスパフォーマンスが注目される。

 

『太陽のSEASON』(’95年)でソロデビューを果たすと、東芝EMIからエイベックスに移籍し、小室哲哉が作詞・作曲からプロデュースまで手がけた『Body Feels EXIT』(’95年)で、スターダムへ駆け上がった。

 

「当時、若くしてユーロビート調ばかりでなくブルース調の曲を歌える女性歌手は、極めて少なかった。また、バックダンサーを従えたパフォーマンスはアイドルとまったく異なり、本格的なストリート系ダンスを取り入れて新しいアーティスト像を作り上げました」

 

■オンでもオフでも筋を通す世界基準の歌姫

 

’96年ごろからは、茶髪、日焼けした肌、細眉、ミニスカート、ロングブーツを身につけた“アムラー”と呼ばれる若者が渋谷の街にあふれた。

 

一方、週刊誌などでは安室の生い立ちが報じられることも。

 

「授業料を支払えなかったため、沖縄のアクターズスクールに特待生として入学し、徒歩で何時間もかけて通っていたという逸話もあります。バブルの豊さに疑問を抱く人が増えた時代、そのハングリー精神は、安室さんの人物像に厚みを持たせたのかもしれません」

 

’97年に発表した『CAN YOU CELEBRATE?』はウエディングソングの定番となった。

 

「人気絶頂のなか、弱冠20歳で結婚・妊娠を発表した安室さんの人生をトレースしたかのような歌。年末の『紅白歌合戦』で同曲を披露し、1年間の産休に入りました」

 

結婚・出産が芸能活動の大きな障害になりえる時代でもあったが、1年後の紅白歌合戦で見事な復帰を遂げた。

 

「’90年代を代表するアーティストに成長し、’18年に40歳で引退するまで、輝きを放ち続けました」

 

【PROFILE】

牛窪恵

’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

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