住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、憧れていたアスリートの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。
「女子で初めてトリプルアクセルを成功させたのが、伊藤みどりさん。’89年の世界フィギュアスケート選手権でアジア人初のチャンピオンとなり、’92年のアルベールビル五輪では見事、銀メダルを獲得しました。最大の魅力はジャンプ。その抜群の高さはほかの選手を圧倒しており、後にも先にも、あれほどのジャンプを跳べる選手はいないのではないでしょうか」
そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。
伊藤みどりが5歳のとき、遊びに行ったスケートリンクで見よう見まねでスピンやジャンプをしていたところ、山田満知子コーチの目にとまった。
「山田コーチといえば、のちに浅田真央さんや宇野昌磨さんの指導にもあたりました。その名コーチが、初めて指導した世界レベルの選手が伊藤さんなんです」
10歳から山田コーチの家に寝泊まりし、本格的な指導を受ける。
「伊藤さんは幼いころにご両親が離婚していて経済的に楽ではなかった可能性もありますが、西武鉄道グループの堤義明オーナーの支援もあったといわれています」
■浅田真央にも影響を与えたといわれるジャンプ
金メダルの有力候補として’92年のアルベールビル五輪に臨む。
「当時の日本のフィギュアスケートは五輪に出場すること自体が難しいというレベル。そんななか“世界では、自分の個性がなければ戦えない”と、ジャンプの技を磨きました。その高さはピーク時には60センチを超え、着氷時に足首にかかる負担は250キロにも。そのため、見えないところでたびたびけがに苦しんでいたようです」
当時の女子シングルは、ジャンプよりも芸術性が重視されていた。
「ただし、伊藤さんの場合はジャンプそのものが、テクニックを超えた芸術といってもいいほどの完成度でした」
世界各国の選手は伊藤に対抗するため、さまざまな3回転ジャンプに挑戦するようになった。また、感情豊かな彼女の演技は見ている観客もとりこにした。
「ご本人もインタビューで喜怒哀楽が激しいと語っているとおり、会心の滑りができたときは、氷上でうれしそうにガッツポーズをする。渾身の力を振り絞った演技と表情に、応援している人も“よっしゃ!”と一体になれました」
アルベールビル五輪後に、「区切りにしたい」と引退を表明。
「浅田真央さんにも大きな影響を与えたといわれる伊藤さんのジャンプ。彼女の存在がなければ、日本のフィギュアスケートは、何年も遅れてしまっていたでしょう」
【PROFILE】
牛窪恵
’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍