「当初は私の誕生日である8月20日にみなさんに報告しようと思っていたんです。ところが、抗がん剤を投与した影響で髪の毛が抜け落ちてきてしまって……。髪の毛があるうちにやらなくては、と公表を前倒しにしたんです」
8月13日、自身のInstagramを通じ、乳がんの一種である「浸潤性小葉がん」のステージ3Aで闘病中であることを明かした梅宮アンナ(52)。浸潤性小葉がんは特殊型乳がんの一つ。その特徴をさがら病院宮崎副院長の柏葉匡寛医師は次のように解説する。
「乳腺の末梢の組織である小葉型のがん細胞が増え、基底膜から周囲に浸潤してリンパ節に転移している状態をさします。術後も長い期間にわたり、乳がんでは稀な腹膜、胸膜、消化管に転移しやすいため注意が必要です」
乳がんというと“しこり”をイメージする人も多いが、
「小葉がんは細く柵状に広がります。しこりも平坦で早期発見がしにくく、診断時には周囲に広がっている例が多いです」(柏葉先生)
このケースは乳がん全体の5%ほどだという。
今回の公表に込めた思い、治療や家族の支えなど、120分にわたってアンナが本誌に語ってくれた。
「5月下旬、胸に異変を感じ、激しい痛みに襲われました。マンモグラフィーやエコー検査を受けましたが、異常が見つからなかったんです。でも私は『組織検査はやらないんですか?』と聞きました。父以外にも身近にがんを患った人がいたため、知識があったんです。
追加の精密検査を経て、7月上旬に母付き添いのもと、がんであると診断を受けました。ただ、告知されたときは実感が湧かなくて。
いまはアメリカで暮らす(長女の)百々果に真っ先に伝えると、『お願いだから死なないで……』と号泣されました。
治療についてこの1カ月でものすごく調べました。保険でカバーできる標準治療でいいのか、自由診療になる最先端の幹細胞治療を検討したほうがいいのか、とか。高額療養費制度のことなど、お金に関することも見直しましたね。ふと涙が出ることもありますが、それよりも私は次のことを考えて行動しないと、と考えるタイプなんです」
すでに抗がん剤治療を開始しており、7月31日、8月13日と2度行った。副作用で、発熱や吐き気などの症状が出たという。
「熱が出るのは、薬が効いているからだと、かえって喜んでいます。髪の毛は抜けるものだと医師から言われていて、今月末にはいまのような量はないんじゃないかな。もっともつらいのは、恐怖心が常につきまとうことです。抗がん剤は細胞を殺す薬ですから、それを体に入れることでどうなってしまうんだろうという見えない不安から眠れなくなることもあります。
みなさんに伝えたいことの一つは、がんを甘く見ないでほしいということ。慰めるために『乳がんって現代は治る病気なんでしょ』とか『ステージ4だった親戚がいまはピンピンしてるよ』とか言われることもあるのですが、病人からすると酷なものなんです。その立場になって初めてわかりました。
うれしいのは「治ったらゴルフ行こう!」とか“少し先の約束”をしてもらえること。励みになるし、今後は私もそういう言葉をかけてあげられるようになりたい。髪が抜けてしまうことに悩む人の気持ちもわかってきたので、もっとおしゃれなウィッグの提案などをできないかと思って、この間はウィッグのメーカーに連絡を入れて、社長さんに会って話をしてきたんですよ」
不安や恐怖と隣り合わせの日々を送りながらも前を向くアンナの姿に、現在一緒に暮らしている母・クラウディアさん(80)は「強いね」と感心していたそうだ。
「私は1人が好きだし、人生の問題も自分で考えて、行動して、ケリをつけてきました。父譲りで男っぽい私は、梅宮家の“長男”だって思ってます。ママは反対で、梅宮辰夫という大きな傘にずっと守られてきたから、1人だとダメな人で。父が亡くなったときはショックで立ち直れず、体調も崩しました」
母親は当時に比べ体調こそよくなったものの、アンナは闘病中も面倒をみていくつもりだという。
「あれから5年近くたって、ママは公共料金の支払いなど、できることも増えましたが、まだタクシーを呼んだり、ウーバイーツを注文したりはできないですから(笑)。高齢で腰も悪いですし、これからはずっと一緒に暮らしていきます。今回のがんの告知のときも、パパが亡くなった後の相続の話のときも、ママは聞いている途中に寝ちゃうんですよ。そんなところが私にとっては大切な癒しなんですけどね(笑)」
’19年に81歳で亡くなった父・辰夫さんは、36歳のときに睾丸がんにかかったのをはじめ、生涯6度ものがん手術を受けた。
「だから、私もいつかがんになるんだろうという覚悟は頭の中にありましたが、実際に発覚した後、部屋に飾ってあるパパの写真に『がんになっちゃったんだ……』ってつぶやいたんです。パパにはがんについて聞いてみたいことがいっぱいあるんですよ。抗がん剤を使っていたのに髪の毛が抜けていなかったし。いつも毅然としていたけれど、本当はどんな気持ちだったのかも聞かせてほしい。
でも、自分のことなら平気でも、パパは私ががんだってわかったら取り乱しちゃうんだろうな……。きっと天国で泣いていますよ」
辰夫さんが亡くなった後、遺品の中から大量のレシピノートが見つかったという。アンナはそのレシピを見ながらキッチンに立つ機会が増えた。辰夫さんが愛情を込め、大切に使っていた調理用具を使っていると“パパの面影”を特に感じるのだという。
「きのこ、ワカメやモズクといった海藻類など、免疫力アップに効果的とされる食材を使ったレシピもあるんです。そういったものを上手に取り入れていけたらと。口にするものって大事なんだなって、改めて思いました。大嫌いだったブロッコリーもいまは食べています(笑)」
クラウディアさん曰く、「最後までキッチンに立とうとしていた」辰夫さん。父の“愛情レシピ”は、梅宮家の思い出をよみがえらせ、闘病の不安を抱える娘を励ましてくれる存在でもあるのだろう。
今後の治療計画については、すでに担当医と綿密に打ち合わせているという。
「順調にいけば抗がん剤治療が4カ月で終わり、その後全摘出手術を受けて、放射線治療やホルモン療法をやって――と、長い道のりになりそうです。先日ある取材で治療は2年くらい、と答えましたが、もっと長くなるかも。主治医には『生きるか死ぬかは神様しかわからない。大事なのは治療するんだという気持ち。それがあなたを救うんです』と言われました。その先生のことはとても信頼しているんです」
がんが発覚し、それを世間に公表するなど目まぐるしい日々を送るなか、この取材当日、アンナのもとにうれしいニュースが――。
「じつは娘の百々果が帰国するんです! 『いま自分がすべきなのは、ママのお世話をすることだと思う』と考えてくれたそうで。私も『帰ってきて』と喉元まで出かかっていましたが、彼女の人生を私の病気で振り回してはいけないと我慢していて。向こうから切り出してくれて、本当にうれしかった。帰ってきたら、がん検査や保険に関する話も改めてきちんとしようと思っています」
がんを公表して以降、アンナのもとにはさまざまな反応が寄せられているという。
「ネット上で《梅宮アンナ大嫌いだったけど、今回の文章読んで見直した》といったコメントがあったんです。公表した意味があったと実感しました。今回がんにかかったことは、私にとっては修行かもしれない。でもきっと神様は耐えられる人にだけ試練を与えていると思うんです。
私はがんと向き合うことを通じて、人の心を動かせるような発信をしていこうと考えました。それが私に与えられた使命なのだと。その使命を担っていく先に、新しい幸せがきっとあるはず――。いまはそんな気持ちです」
52歳の誕生日を迎えたアンナ。老母のため、愛娘のために、彼女は逆境から目を背けることなく、自分らしく歩み続ける。