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「僕にとっては、過去の話をするようになったらおしまいだという気持ちがどこかにずっとありました。過去にこだわるのではなくて、まだ先があるだろうと。ただ、70代後半になり、自分の人生を整理整頓してみるのも誰かのためになったり、誰かの参考になるのかもなあと思いまして。未来に向けて、何かを発信したいと考えるようになったんです」

 

堺正章(78)が芸歴70年で初の“自伝的”著書『最高の二番手 僕がずっと大切にしてきたこと』(飛鳥新社)を1月21日に出版する。実父で喜劇俳優の堺駿二さんとの思い出、ザ・スパイダース時代の本音、植木等さんや内田裕也さんらとの交流、ビートルズの来日公演で前座の依頼を断っていたというエピソードなどがつづられている。

 

堺は今回、題名にもなっている「最高の二番手」というスタンスを大事にしてきたという。歌手、俳優、司会者と各ジャンルで活躍するマルチタレントの草分けとして芸能界の最前線を走り続ける原動力の裏側には“まだ一番手ではないという気持ちが可能性を広げ、さらなる成長につながる”という精神があったそうだ。

 

「自分で“一番手だ”と思った途端に後は落ちていくだけでしょう。じゃあ、まだ自分は二番手で過去を振り返るほど余裕はないよというスタンスだったんですね。だから今まで自伝は出さなかったんですけど、今回、軌道修正したんです」

 

著書のなかでは、主演ドラマ『西遊記』(’78年)ロケ中の夏目雅子さんや西田敏行さんとのやりとりも収録されている。

 

《雅子ちゃんは本当に凜としていて気高く、なんとも美しい三蔵法師だった。気の合った西田敏行さん、岸部シローさん、雅子ちゃんとのアドリブを多用した丁々発止は思い出深い。途中で監督に「そんなに長く入れられるか!」と叱られることもよくあった》(著書『最高の二番手』より)

 

この当時、堺は“調子に乗っていた”と振り返っている。

 

「スパイダースのときも調子に乗ってました(苦笑)。花が咲いて、売れてきてからの3年間は短かった……。本来なら、売れなくなった次の日から、勉強すればいいんですが、スパイダースを辞めて、役者として1人になって『西遊記』で、また皆さんの注目を集めたときに同じ過ちを繰り返しちゃってね。これが若さの落とし穴――。

 

だけどね、有頂天になれる人はそんなにはいない。だから有頂天になってもいいと思うんです。そこから落ちてきて地面に突き刺さりそうになり、そこからまた上がってきたときが本物だろうと」

 

堺は昨年10月、西田敏行さんの訃報に際し、こんな追悼コメントを出していた。

 

《西田さん! あの滲み出るような演技を超えた存在感、もう終演なんですね。大きな存在を失いました。猪八戒、沙悟浄、三蔵法師もみんな天竺へ旅立ちました。私もいずれその旅に参加します。心よりご冥福をお祈りします》

 

最初に訃報を聞いたときは、どんな心境だったのだろうか。

 

「実はそのとき射撃(趣味のクレー射撃)に行っていて、そこのレストランにあるテレビの速報で知ったんです。驚きました。すぐに僕の事務所に連絡を入れました」

 

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