吉行和子(写真:本誌写真部) 画像を見る

9月2日未明、肺炎のため90歳でこの世を去った女優・吉行和子さん。舞台、映画ドラマと幅広く活躍したその女優人生を振り返る――。

 

「吉行さんは1954年、19歳のとき、『劇団民藝』に入団し、22歳で主役デビューしました。吉行さんが主役を務めたのは、1957年に上演された舞台『アンネの日記』です。同舞台の公演から1週間ほど経ったとき、主役を務めていた女優が風邪で倒れ、急遽代役を立てることになりました。

 

その大役を任されたのが、当時まだ研究生だった吉行さんでした。呼び出されたのは公演当日の朝。舞台稽古もないまま本番に臨むという異例の状況でしたが、驚くべきことに台詞はすべて頭に入っていたといいます。1カ月以上、稽古場で主役の演技を見続けていたため、自然と体にしみ込んでいたのだそうです」(舞台関係者)

 

この“代役デビュー”をきっかけに、吉行さんは舞台・映画・ドラマとジャンルを問わず活躍。1978年の映画『愛の亡霊』では大胆な人妻役を好演し、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。テレビドラマでは『3年B組金八先生』『ふぞろいの林檎たち』(ともにTBS系)など、時代を彩る作品に出演。多彩な役柄を演じ分ける実力派として、視聴者の記憶に残る存在となった。

 

私生活では28歳のときに結婚するも、約4年で離婚。その後は独身を貫いた。1969年には劇団民藝を退団し、フリーの女優として活動を開始。結婚や離婚、退団といった人生の節目を経て、吉行さんは表現者としての道をさらに深めていった。

 

生前、芸団協CPRAの広報誌によるインタビューに対し、吉行さんは女優として最も大切にしていることをこう語っている。

 

《自分の心が動くということですね。自分の役が面白そうって思えなければ絶対うまくいかない。面白そうならどんな小さな役でもいい》(「SANZUI」2014年1月)

 

「吉行さんが劇団に入ったばかりのころ、引っ込み思案で先輩劇団員とは緊張して話せないような性格だったそうです。しかし、代役として舞台に立った際、苦手な先輩と並んでも堂々としていられたことから、役に入り込む面白さに気づいたのだとか。

 

その後、自分のやりたいテーマや舞台を探して作品を創りあげていくことが、女優を続ける原動力となったそうです。その象徴ともいえるのが、1992年に始めた一人芝居『MITSUKO』です。吉行さんは自分でスタッフを集め、日本のみならず海外でもこの作品を13年間上演し続けました。この経験を通して、吉行さんは舞台がどんなものか自分なりの答えを出すことができたと明かしています」(前出・舞台関係者)

 

2005年、13年間続けた舞台『MITSUKO』を終わらせた吉行さん。その後もう一本だけ舞台に出演し、舞台からは引退した。ただ、2014年に前述の「SANZUI」のインタビューで、《最後は舞台女優として幕を閉じるのが、最近できた私の大切な人生のテーマです》と語るなど、晩年は舞台復帰への思いを口にすることもあった。

 

プライベートでは兄で芥川賞作家の吉行淳之介さんが1994年に、妹の理恵さんが2006年に他界。同年にはNHK連続テレビ小説『あぐり』のモデルとなった母・あぐりさんが寝たきりとなり、10年間の介護生活ののち、2015年に見送った。

 

身近な人たちが次々と先立っていくなかでも、大好きな女優業に邁進し続けた吉行さん。ネット上では、吉行さんとの別れを惜しむ声が相次いでいる。

 

《また素敵な人が一人いなくなってしまった》
《凄く独特な雰囲気のある女優さんでしたね。お悔やみ申し上げます》
《喋り方や物腰が上品で好きだったな…》
《笑顔が似合って上品で、大好きな女優さんだった》

 

かつて本誌のインタビューで、充実した日々を送るための秘訣について、《1回しかない人生、楽しまなくちゃ。みんな、楽しい人生を自分の手でつかんでほしいなと思いますね》(「WEB女性自身」2013年11月26日掲載)と語っていた吉行さん。最後まで自分に正直に、女優として生き抜いたその生涯に、心よりご冥福をお祈りしたい。

画像ページ >【写真あり】取材に答える42年前の吉行さん(他2枚)

出典元:

WEB女性自身

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