「2026年5月4日、オルセー美術館の全面協力のもと、館内を特別に貸し切り、パリの名門アトリエ『エスペロ・フランス』で製作したオートクチュールを発表する機会を得られました。オルセー美術館といえば、印象派芸術を文化資産として位置付けた、世界有数の美術館です。今回の試みの特徴は、単なるロケやスタジオでの撮影ではなく、芸術史そのものとファッションが対話するプロジェクトである点にあると思います」
こう語るのは、パリに拠点を移して活躍するファッションデザイナーの渋谷ザニーさん(41)だ。
「近年、本格的にパリで作品を発表する日本人デザイナーが激減するなか、日本人が世界進出する起爆剤の一つになれればうれしい」
と抱負を語るように、ザニーさんの視線の先には“日本のため”という強い思いがある。それは、ザニーさんによる日本への恩返しなのかもしれない。
「1985年1月1日、旧ビルマ(現・ミャンマー)の首都ラングーン(現・ヤンゴン)で生まれました。両親はともにビルマの民主化を進める活動家で、軍事政権に命を狙われる存在のため、祖父母のもとで育てられました。1989年には父が国外に亡命し、私自身も、小学3年生のときに、元独立軍の将校だった母方の祖父の尽力でパスポートが発行されて、政治難民として日本に来ました」
日本入国時は入学方法すらわからず、6カ月ほど家で過ごした。日本語ができず、友達もいないザニーさんは、テレビを見て過ごすしかなかった。
「小さなテレビ画面に映っていたのが、天皇陛下と雅子さまのご成婚パレードのテレビ中継でした。ミャンマーには君主制の歴史があるし、その伝統を重んじる家庭に育ったため、自然と皇室へ興味を抱いたのでしょう。雅子さまのドレスの美しさに目を奪われました。しかし、まさか将来、天皇陛下の即位の礼の関連行事に、私自身が関わらせていただくことになるなど、夢にも思っていませんでした」
小6から本格的にファッションに興味を持ちはじめ、高校生のときにはモデル事務所に所属。16歳のときに難民認定されたことで日本での定住が可能になり、5年後には永住権も得たが、その後も“難民”という言葉がつきまとった。転機は、大学時代、アルバイトで貯めた200万円で挑戦したアメリカ留学だった。
「ニューヨークではヒスパニック系や黒人、マイアミではキューバからの亡命者と出会いました。人種のるつぼで感じたのは、マイノリティであっても力強く生きて行く姿。国籍も人種も関係ない。“ザニーはザニー”と自信を持って生きれば、きっと道は拓けると思ったんです」
帰国後、ファッション業界で働きたいという夢を叶えるために、ティーンズ誌のモデルやブランド店のショップ店員をしながら、デザイナーの勉強をした。2006年、大学4年のときに、モデルとして渋谷「109-(2)」のビルボードを飾ったことがきっかけになり、あるアパレル会社から「デザイナーの仕事に興味がないか」と声をかけられた。
デザインからディスプレイまで手がけ、下積みを続けると視界が広がりだし、ドラマ『プロポーズ大作戦』(フジテレビ系)で主演した山下智久の衣装をデザインしたり、TRFのステージ衣装に選ばれる等、仕事にも恵まれた。2011年には独立し、ブランド「ZARNY」を立ち上げ、浜崎あゆみや、X JAPANとLUNA SEAで活動するギタリストのSUGIZOのライブ衣装、安倍晋三元首相夫妻の外遊時の洋服を担当したという。
着実にキャリアを重ねると、あるとき知人から「三笠宮家の瑶子さまにお会いになりませんか?」と電話連絡があった。
「じつは、最初のオファーは寬仁親王殿下のお召し物を、瑶子さまのご公務用にリフォームするというものでした。ところが、いざ寬仁親王殿下のお召し物を目の前にした瞬間、畏れ多くて『技術的には可能ですが、申し訳ございません。お衣装にハサミを入れることはできません』と、お断りしてしまったんです。あらたに瑶子さまのお召し物をしつらえ、ボタンだけを付け替える方法を提案しました」
瑶子さまは、そんなザニーさんの誠実さを見て信頼されたのだろう。
「『あなたのおっしゃるとおりにいたしましょう』と言ってくださいました。そればかりか『ドレスをザニーさんに作っていただきましょうか』と、即位の礼の関連行事でお召しになる、ローブデコルテとローブモンタントのオファーをいただいたのです。このドレスのルーツは海外ですが、そこにあえて若竹色という和の色、和の生地にこだわって、日本らしさを取り入れました。
瑶子さまのドレスのお着付け、ご衣装のご調整をするために、連日、赤坂御用地に参内しました。時代の大きな節目に、皇族がお召しになるオートクチュールのドレスを担当させていただくことは、最高の名誉でした」
着実に足場を築き、最近ではザニーさんが手がけた衣装がSnow Manにも愛用され、順風満帆にキャリアを重ね、ついにはオルセー美術館全面バックアップで作品を発表することができたのだ。
「今の私があるのは、自身のルーツだけでなく、日本、そして世界で得た価値観や経験、そして出会った人から受けた刺激のおかげで、すべてが作品に反映されています。今後も国境を超えて活躍できるクリエーターになるために、努力は惜しみません」
政治難民としての逆境を跳ね除け、日本でデザイナーとしての基礎を固めたザニーさんが、パリで飛躍する――。
画像ページ >【写真あり】撮影準備に入る渋谷ザニーさん(他1枚)
