国家公務員のMVPとも評される人事院総裁賞を受賞した皇宮護衛官・藤本龍昌さん(写真:本誌写真部) 画像を見る

「天皇陛下や皇族方をお守りする皇宮警察の護衛官なので、目立つ仕事ではありません。むしろ、皇宮警察は刑事ドラマに出てくるような、派手な逮捕劇そのものを、起こしてはならない仕事なのです。そのため、人事院総裁賞に推薦すると言われたときも“大きな活躍をしてないから、選ばれるわけがない”と思っていたんです」

 

こう語るのは、今年2月10日、国家公務員のMVPとも評される人事院総裁賞を受賞した藤本龍昌さん(59)だ。

 

皇宮護衛官として、天皇陛下の即位を祝うパレードでは先導する側車(サイドカー)に乗り込んだ藤本さんだが、皇室のことなどほとんど知らぬまま皇宮警察に入ったと振り返る。

 

「私は熊本県の片田舎で育ちました。あるとき、B5サイズの皇宮警察の募集チラシを目にしましたが、具体的にどんな仕事なのかわからない。ただ同時期、NHK特集で皇居をテーマにした放送を見て“皇居を守る仕事があるんだ”と知り、昭和60年に上京したんです」

 

より高い志を持ったわけではなく、当初はあくまで興味本位の部分もあったようだ、1年目でさまざまな素養を叩き込まれ、意識が向上していったという。

 

「最初に怒られたのは、『なんだ、お前たちの気を付けの仕方は!』って(笑)。普段、気を付けを意識したことがなかったので、どうしていいのかわからないのですね。気を付けや行進の仕方などを教わり、しばらくすると、普通に歩いていても、角は直角に曲がるクセが身につきました」

 

体育会系の訓練があった一方、茶道、華道、短歌、日本画など、文化系の学びも多かった。

 

「私のようなまったくの素人相手に、普通なら教えを乞うこともできない大先生が、懇切丁寧に教えてくれるのです。しかし恥ずかしながら、茶道の時間の楽しみは、お茶菓子でした。田舎出身の私にとって、見たこともない美しいお茶菓子が食べられるのですから。

 

普通の警察学校に通う人からは『そんな授業は必要なのか』と言われそうですが、日本文化の中心におられる陛下をはじめ、皇族の方々をお守りする上で、非常に大事な教養だと思います」

 

なにより、皇宮護衛官となり圧倒されたのは、昭和天皇に最初に拝謁したときに感じたオーラだったという。

 

「しかし、ある日、げっそりと痩せられている姿を見て、ただ事ではないぞと思いました。それからまもなくして大量吐血の報を聞くことになりました」

 

大喪の礼では、昭和天皇の柩を乗せた葱華輦(そうかれん)という輿を、新宿御苑から葬場殿と呼ばれる場所まで、数百メートル運ぶことが大きな任務だった。ただし、歩き方一つ、担ぎ方一つ、指導できる人物がいなかった。

 

「葱華輦は屋根付きの輿で、1.5トンあると聞きました。50人で担ぐので、一人30キロだからなんとかなるだろうと思っていたのですが、肩の一点に名刺一枚ほどの狭いスペースで担ぐ形になるので、持ち上げられない。ようやく持ち上げても崩れそうになるし、一歩が踏み出せないのです。毎日、ただひたすら練習を積み重ねるしかありませんでした。

 

大喪の礼で任務に就いたことで、天皇陛下を中心にした、儀礼のための武器・武具を備えた儀仗隊の隊列を表す“鹵簿(ろぼ)”を意識するようになりました」

 

平成4年には、初めて皇宮警察で白バイ隊員の募集があった。

 

「それまでは逮捕をするための格闘術の訓練をしていたのですが、先輩のすすめ……、というか『やれ!』の一言で、応募することに(笑)。両陛下が地方に行幸啓されるときなどは、左右計2台、国賓の皇居参内の際は車の前後左右の計4台で護衛するのが、主な仕事となります」

 

さらに、高度な技術が求められるパレードではお馴染みの側車(サイドカー)での護衛任務、側車の改良などにも携わってきた。そして令和元年11月の天皇陛下の即位を祝うパレードでも、側車で先導し、警備した。

 

「特別な行事ではありますが、仕事に臨むときはいつもと同じ心構えです。余計なことを考えると邪気が入りますし、人間は緊張をすると視野が狭くなります。当日のパレードには10万人以上の方々が来られたと発表されていますが、さらに沿道に入れず、遠くの坂の上から声援を送る人も大勢いましたし、上空には7、8機のヘリが飛んでいました。目まぐるしく変わる状況で、不審事象を発見するためには、平常心が求められるのです」

 

通常の警備だけではなく、荘厳さも求められる護衛の技術と心構えが評価され、人事院総裁賞の受賞が決まったのだ。なにより感動したのは、天皇陛下のご接見だったと振り返る。

 

「私は普段からお声がけいただいておりますが、黒塗りの車で御所の正門から入り、そのまま御車寄(みくるまよせ)で車から降りて大広間に通され、陛下にお声がけいただくことなんて、一生涯のうちでもありえないことです。当日、陛下は同伴した妻に『今まで大変でしたね』というお話をされました。ただ、今回の賞は、先達の方々が陛下をお守りしてきた長い歴史があり、その中でたまたま私が選ばれたのであって、代表で受賞したものと受け止めています」

 

画像ページ >【写真あり】自ら開発に関わった側車付きのオートバイの横に(他5枚)

出典元:

WEB女性自身

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