「生きていたら真っ先に駆けつけて、歌声で多くの被災者を励ましてくれたでしょうね。彼女は本当に故郷を愛していましたから」
そう語るのは、日本で唯一のキャバレーといわれる、熊本県八代市にある「キャバレーニュー白馬」の社長・池田義信さん(77)だ。
今年7月に発生した令和8年熊本地震から、まもなく3カ月。震度6強を観測した八代市で、1958年創業の老舗キャバレーは大きな被害を受けた。この場所は、2023年12月に亡くなった歌手の八代亜紀さん(享年73)が「歌の聖地」と呼び、愛してやまなかった原点である。池田さんは八代さんの中学校の1つ後輩にあたる。
「10年前の熊本地震のときも、すぐに駆けつけて歌声を披露してくれました。最後に会ったのは2022年のことです。阿蘇で行われた復興PRイベントの楽屋でしたね」
池田さんはそう振り返る。生前、八代さんは帰郷するたびに同店を訪れていた。
「コンサートや講演のたびに、うちの店のことをPRしてくれていました。私が『宣伝してくれてありがとう』と言うと、彼女は『当たり前じゃない、私の歌の聖地よ』と答えてくれました。本当に可愛いところがある人でしたね」(池田さん、以下同)
八代さんが初めて同店のステージに立ったのは15歳のとき。中学卒業後、バス会社で働きながら歌手を夢見ていた彼女は、年齢を18歳と偽ってオーディションを受けた。初舞台とは思えない堂々としたジャズナンバーの歌唱に、無関心だった客も心を奪われたという。
「連日、万雷の拍手とアンコールが絶えなかったと聞いています。しかし、数日で厳格なお父さんにバレてしまい、置時計で殴られるほど激怒されたそうです」
それでも涙ひとつ見せなかった八代さん。1966年の16歳の誕生日に家出同然で上京した彼女は、その後、昭和を代表する歌姫へと駆け上がっていった。そんな彼女の原点である「白馬」を、今回の地震が襲った。
「カウンターやバンドのステージの機材、アンプがすべて倒れました。最初は『もうやめようかな』『これで終わるかな』と、ふと思ってしまいました」
一時は再開を諦めかけた池田さんだが、全国から寄せられた声が背中を押した。
「地震の後、全国の八代ファンやうちの店のファンから『お店は大丈夫ですか』と、毎日安否を気遣う電話がかかってきました」
ファンの温かい声援とスタッフの尽力もあり、池田さんは8月20日に営業を再開した。
「みなさんに元気なところを知らせるためにも、一歩踏み出したことを全国に発信したかったんです。八代市は名所旧跡がほとんど被災してしまいました。ここは営業できるからまだいい。『八代の文化として残さないといけない』とも言っていただくので、街が少しでも活性化できればと願っています」
現在、店内では八代さんが熊本の情景を歌ったカバー曲『Sweet Home Kumamoto』のプロモーションビデオが流されている。
「子どもがいない私にとって、この店は完全に我が子です。可愛くてしょうがない。八代さんは『80歳まで歌う』と目標を語っていました。亡くなったことは本当に信じられないくらいショックですが、彼女の魂はこの店に残っています」
営業再開を果たした日本で唯一のキャバレーは、希代の歌姫の思いとともに、これからも八代の夜に明かりをともし続ける。
画像ページ >【写真あり】日本で結一のキャバレー「キャバレーニュー白馬」の店長池田義信さん(他3枚)
