10月22日、第91代総理大臣を務めた福田康夫氏が心不全のため90歳で亡くなった。26日に自民党が発表。福田赳夫元首相の息子で、日本の憲政史上初めて親子で首相を務めた。’07年9月に首相に就任し、翌年9月までの1年間在任した。
地元である群馬県高崎市の富岡賢治市長は27日の定例会見で、福田元首相に「名誉市民」の称号の贈呈を検討していることを明らかにした。
「東京で生まれ育った福田元首相ですが、群馬県の選挙区から出馬・当選、そして総理大臣にまで駆け登ったのは、父・赳夫元首相の実家が群馬県高崎市にあったからです。さらに、福田元首相は戦時中だった小学校2年生のときに、母親兄弟と一緒に1年間この実家に疎開していた時期があります」(全国紙政治部記者)
高崎郊外、榛名山を見上げる土地に建つその実家は、今でも当時のまま現存している。本誌記者が現地を訪ねると、歴史を感じさせる木造の広い屋敷だけでなく、過去に使っていたであろう蔵も残っていた。
表札には「福田善太郎」とある。福田家本家の14代当主ということだ。福田元首相の訃報に際し、親戚である善太郎さん(68)が取材に応じてくれた。
「私の祖父の弟が赳夫さん、という親戚関係です。年齢は康夫さんより私が21個も下ですが。学生時代は私も東京に出ていて、世田谷の赳夫総理宅で世話になっていました。そのとき、秘書を務めていた康夫さんも一緒でしたよ。穏やかな風貌なんですが、あれでハッキリものをいう人でね。『よく遊んでよく学べ』とか、よく言われましたよ」
その後、善太郎さんが高崎に戻って結婚する際は、福田元首相が仲人をしてくれたという。
「最後に連絡を取ったのは、今年7月ごろですかね。電話で話しました。案外元気そうで、まだまだ丈夫だと思っていたのですが。突然のような訃報でね……。
康夫さんも夏を越えて、ちょうど90歳になったときでした。先代の赳夫さんも亡くなったのが90歳でしたから、親子で同い年の長寿になったわけですよね」
――こちらの家屋には、今でもお住まいになっているのですか?
「母屋は築250年にもなる江戸時代からの木造ですが、隣に別棟も建てていて、両方で生活しています。私は福田家の14代当主になりますが、この家は当初、沼田などを治めた真田藩の在郷家老で、庄屋などをやっていたようです。このあたりでも40ヘクタールほどの畑を持っていましたね。
私の生まれる前のことですが、康夫さんはここに戦争疎開していたそうで、ここから地元の小学校に通っていました。近くに軍部の飛行場はありましたが、この一帯は空襲も受けず、建物も無事だったみたいです。古くても大黒柱がしっかりしていて、自然災害に遭っても壊れることがなかったんですね」
――屋敷に手を入れようかとお考えになったこともある?
「この古い母屋をリニューアルすることも検討したのですが、赳夫さんの学生時代までの遺品なども多くて、どうしたものかと思っていて。赳夫さんはここから高崎高校まで毎日10kmも歩いて通学したそうです。
康夫さんにも相談したことがありましたが、『そんな古いのは、つぶして建て替えなさいよ』とは言われましたね」
政界引退後の’13年10月には、群馬県から「名誉県民」の称号を贈られている福田元首相。憲政史上初の親子首相は、いまも空から地元を見守っていてくれるだろう。
画像ページ >【写真あり】高崎市内にある福田赳夫氏の胸像(他1枚)
