ドラマ『VIVANT』(TBS系)が話題になるいっぽうで、その恩恵を受ける形で露出を増やしているのが、お笑いコンビ・ラパルフェの2人だ。都留拓也(32)が『VIVANT』の野崎守(阿部寛=62)の、尾身智志(32)が乃木憂助(堺雅人=53)の精巧なモノマネを披露し、テレビ番組への出演が激増している。
“VIVANT特需”をむかえるまでのコンビのこれまでを、2人に話してもらった——。
■出会いは中学時代。原点は「尾身-1グランプリ」
2人の出会いは、中学1年生の春。先生のモノマネをクラスで披露するなど、人気者だった都留に対し、尾身は衝撃を受けたという。
尾身「ピクサーの世界にいる顔が現実世界を歩いている!と思ったのが最初の印象でした(笑)。クラスの中心にいて、こんなにおもしろい人はすごいな、と。この人と友だちになりたいと思いました」
都留が尾身に突っ込む、という関係性が自然とできていったという。中学3年生のころには、尾身がクラスのお笑い担当のポジションになっていた。
都留「中3のころ、尾身くんの名前にちなんだ『尾身-1グランプリ』を、お笑い好きな友だちの間で僕が主催したんです。初めてネタを書いて、尾身くんとコンビで漫才をやりました。あれがお笑い人生の原点かもしれません。当時すでに、尾身くんにはプロになりたい、お笑い芸人を目指したい、という思いを感じました」
高校、大学でもコンビを続け、尾身が都留を誘う形で、18年に正式にコンビを結成。コンビ名は当初、インフルエンザ治療薬にちなんだ「リレンザ」だった。しかし、事務所所属時に商標登録の問題で変更を余儀なくされ、そのころ都留がハマっていた漫画『HUNTER×HUNTER』のキャラクターっぽい、ということから「ラパルフェ」に決まった。
■プロの壁、生活苦、そして「解散決意」のどん底
順風満帆に見えた彼らだが、養成所を経て事務所ライブに出演し始めると、プロの壁にぶつかることに。
尾身「モノマネなしのコントをやっていたのですが、養成所のライブでウケていたものが、事務所のライブになると見向きもされない。お客さんによってこんなに違うんだな、全員を全員笑わせられるネタってないんだなと」
都留「お笑いの収入がない時期は普通にありました。2人とも実家暮らしだったので、生活に困るというところまではいかなかったのですが」
20年に尾身が結婚。子どもも生まれて、コールセンターのアルバイトをしながらコンビ活動を続けていた。経済状況を整えなくては、という焦りがあった。いっぽうの都留は、『トイ・ストーリー』のウッディのモノマネなどで、テレビの露出を増やしている時期だった。コンビの足並みがそろわず、21年には尾身から解散を申し出たという。
