連載第8回
ディカプリオ完全無欠の復活
レオナルド・ディカプリオが俳優としての器の大きさをぐいぐいと示している。
半年前に、休養説がヨーロッパで取りざたされたが、日本びいきも手伝ってか休養説全否定会見を日本で開き、世界の女性ファンを安心させた。
ディカプリオは先月日本でも公開された『華麗なるギャツビ-』①で謎の大富豪を演じぬいている。特に、社交界セレブのすさまじい迫力のダンスシーンでは、花火の豪華さとあいまって、ニューヨークの社交ダンスやラテン・ダンス界で鳴らしたユアサ②も驚くユニークなステップに、最高の満足感を味わった。
ギャツビーのニューヨーク郊外の大邸宅は、オーストラリアの建造物をモチーフにしているが、さすがに欧米のみならず、中国の大富豪たちともビッグビジネスをするオーストラリアの懐の深さだけのことはある、とユアサ分析。
しかし、それらの話題だけでは語り尽くせない深い背景が〝ディカプリオの完全復活〟、いや〝完全無欠の復活〟の裏にあるのではあるまいか!?
この国際弁護士ユアサならではのとっておきの推理分析は、本稿後半で申し上げる。ヒントは、ケネディ暗殺事件の秘密の真犯人に近づくディカプリオ、である。
その前に、ユアサ個人として、正直、羨望のせいか、決して長身ハンサムが好きではない、ということは、一言、読者の方々に告白せねばなるまい。ハンサム俳優のライバルは多く、実は大変だ。
かつてハリウッドを代表する良心派として著名で、トップ美男俳優だったロバート・レッドフォードの当たり役を、ディカプリオが見事に復活させたとウォール街でも話題だが、美男が謎めいて出てくるタイプの映画を、映画評論家としての国際弁護士ユアサが好むわけでは、特にない。
なぜ今こんなことを言うかといえば、学生時代、社会のことを評論する前提として、自分の立ち位置を明示しなければならないという理論を、社会学の授業で教わった手前、ハンサムが好きではないユアサの経験をあえて語りたいと思う。
ユアサがまだ二十歳になる前、日本で学生時代を送っていたころ、東大本郷キャンパスにあった大型コンピューター・センターを使った主に理工系医学系学生用の数学科目の授業中のこと。数百人の満座の前で、大型コンピューター・プログラミングで学年1番の成績だったユアサは、「法学部になど進学せずに、数学科にこい!」と、強い勧誘を教授からいただいた。さらに招かれた数学科大学院研究室が、なんと男ばかりだっただけにとどまらず、超のつくハンサムなルックスの研究者揃いで、〝ここは私のくる場所ではない!〟と直感したユアサ。そのお誘いは丁重にお断りし、法学部に進んだ次第だ。
この体験がなければ、コンピューターの世界に邁進したかもしれず、ユアサの人生は違っていた。ハンサムとの遭遇が、ユアサの運命を変えたのだった。
従って、ハンサム俳優史における歴史的トップクラスに立つディカプリオのことは、あえてユアサ的には気にしないようにしてきた。
しかし、容姿の見事さとは無関係に、名優ディカプリオとして近年は客観的に見ていたが、確かに彼は稀代の名優であることに今更ながら気がついた。
ディカプリオといえば、名匠バズ・ラーマン監督の『ロミオ&ジュリエット』③で世界に認められた。その意味で、『華麗なるギャツビー』におけるバズ・ラーマンとの再会は、ディカプリオが待ちに待った瞬間だったろう。
ギャツビーの社交界での尊大さと上品さが紙一重の振る舞いや、パーティー・トークの鮮やかさにおいて、ディカプリオの演技たるや、圧倒的な実在感がある。
アメリカではこの微妙な景気のときにギャツビーをもってきたことへの批判もあるが、映画興業での大きな成功が雑音を吹き飛ばした。日本でのレオ様人気とまさしく同様に、アメリカ女性の間でも不動の人気を博していることを示している。
では、お待たせした休養説の背景には何があったのか?
数年前のニューヨークで、慈善活動に従事する友人たちと自然保護運動の会場に現れたディカプリオの真摯な表情を見て、〝ハンサムだけの男とはとてつもない誤解だった〟と、背筋を伸ばしたことがある国際弁護士ユアサの個人的分析を申し上げる。
ディカプリオが賞レースに疲れたのでは?との声もあったが、ユアサの推理はまったく違う。話は3年前にさかのぼる。
2010年からディカプリオは、ケネディ暗殺事件が2013年11月に50年目のメモリアルとなることから、暗殺解明映画の企画にのめり込んでいた。実父が読んだノンフィクション作品を『レガシー・オブ・シークレシー(秘密の遺産の意)』として、ディカプリオ自身が主演とプロデュースを行う話だが、誰がやろうともJFK暗殺事件を映画化することは神経をすり減らす。ユアサは、それがディカプリオ休養説の出た真の背景とにらんでいる。
ところが、ここにきて時代はディカプリオに味方した!
いざというときは辛口だが知性派の天才監督デヴィッド・Ο・ラッセルが、この暗殺解明映画の脚本と監督を担当し、名優ロバート・デ・ニーロとディカプリオが共演することが急転直下決まったのだ。
ラッセル監督は、若いころは草の根の組織運動に従事していたが、貧困層の窮状を世の中に訴えるため映像を活用したことから、映画界に入ったユニークな経歴を持つ。オバマ時代のJFK暗殺事件の映画化には、最適の人物とユアサは確信する。そして、ディカプリオとデ・ニーロのどちらかがオスカーに輝く可能性は十分にある。
ディカプリオは名優であると同時に、商業的センスがある才能豊かな映画プロデューサーでもある。その彼が自身の映画プロダクション会社を用い、企画を打ち出してきた、『レガシー・オブ・シークレシー』は、ざっくり言うと〝相当な代物〟である。
ユアサの知るかぎり、ディカプリオは歴代の米国民主党大統領と親しく、強い支持を示してきた。そんな彼だからこそ、民主党のアメリカの英雄、ケネディ大統領暗殺事件の真相に迫りたいとの情熱がひしひしと感じられる。
美しいスーパーモデルと語らう社交界セレブパーティーの中心人物④としてのみディカプリオを捉えるのは、もはや彼の人生の1%でしかない、とユアサは分析。
FBIの機密解除されたケネディ暗殺事件捜査の秘密情報や証言をもとに、JFK暗殺事件の真犯人に独自のやり方で迫るディカプリオに、今や〝完全無欠の復活〟は、疑う余地のない真実である。
ギャツビーの謎を演じきった名優ディカプリオは、本格的に、力強く、アメリカ最大の謎に今、挑もうとしている。
ちなみに、ケネディ暗殺事件を追求するディカプリオの姿勢を、私の親友で、映画スタジオ関係者の米国人たちから耳にした。そこから類推すると、『レガシー・オブ・シークレシー』は映画として暗殺事件の真相に史上最も近づくであろう感じを、国際弁護士ユアサは受けている。
ちなみにディカプリオは、この映画の原作となったノンフィクションで〝真犯人〟とされたデ・ニーロ演じる人物に最も近づくFBI潜入情報者の役をやる予定である。
謎多き人物を演じきるどころか、歴史の謎を本当に解き明かすレベルにまでディカプリオはきている!
とユアサは確信する。 (了)
1、『華麗なるギャツビ-』
F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』を1974年にロバート・レッドフォード主演で映画化した作品。アカデミー賞も受賞した名作。
2、社交ダンスやラテン・ダンス界で鳴らしたユアサ
この連載でも何度か紹介したが、ユアサはアメリカでコンテストの入賞記録もあるほど社交ダンスに造詣が深い。
3、『ロミオ&ジュリエット』
シェークスピアの名作は数々映画化されてきた。ディカプリオ版は1996年公開で、相手役はクレア・デインズだった。1968年に公開された作品では、ジュリエット役が布施明の元妻のオリビア・ハッセー。最近作は今年公開で、ロミオ役はダグラス・ブース。
4、美しいスーパーモデルと語らう社交界セレブパーティーの中心人物
過去に交際を噂されたスーパーモデルには、ジゼル・ブンチェン(ブラジル)やバー・ラファエリ(イスラエル)などがいる。