寒暖の差に、体調など崩していませんか? 片岡愛之助でございます。
昨年10月からずっと続いておりました舞台公演が、ようやくひと区切りいたしまして、今は全国をトークショーなどで駆け回っております。
その間隙を縫って、先日、祖父となる十三世片岡仁左衛門のお墓にも手を合わせに行って参りました。
お墓参り風景です。普段はメガネも多いです。今年のメガネドレッサー賞をいただきました!
(C)片岡愛之助
僕が今こうして歌舞伎役者でいられることは、父・片岡秀太郎がひと声掛けてくださらなければなかったことですし、その秀太郎さんのお父上、十三世仁左衛門が部屋子にしてくださらなかったら、以前の名前である片岡千代丸にも、ましてや現在の愛之助にもなれなかったわけですから、僕にとってはこの上ない恩人。その人のお墓なんです。
ですので、11年の東日本大震災のときも、東京にいた僕が真っ先に取った行動は、十三世のお墓が無事であるか見届けることでした。そして、あんなに強い揺れにも負けず、十三世のお墓は今と同じく堂々と凛と立っていて、僕が来るのを待っていてくださいました。
いくら感謝しても感謝しきれないというわけで、また手を合わせに行ったのですが、実はこの日は大切なご報告があって、お墓を詣でさせていただきました。
11月30日から、京都南座で始まります吉例顔見世興行。豪華なメンバーが顔をそろえる歌舞伎界の年に一度のお祭りのような興行なのですが、僕も参加させていただけることになりました。
そして、夜の部の大詰、歌舞伎十八番の内『勧進帳』で、大役・富樫左衛門を僕が勤めさせていただけることとなったのです。
僕は十三世の部屋子となり、片岡千代丸を名乗って『勧進帳』の太刀持で初舞台を踏ませていただきましたのは、この京都南座の顔見世興行。僕は富樫の横で、ずっと刀を掲げ、毎日毎日、黙って芝居の成行きを見守っておりました。
9歳の子どもがじっと座っているだけ。さぞ退屈したろうと思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、それはまったくの逆。富樫の横は花道も見渡せる、この芝居でいちばんいい場所。その特等席から、先輩方の力みなぎる演技を毎日見られたわけですから、楽しくて仕方ありませんでした。
門前の小僧で丸一カ月の興行が終わるころには、全登場人物の台詞をそらんじられるまでになっていました。
あれから34年。その同じ京都南座で、同じ『勧進帳』で、今度はその富樫を僕が勤めさせていただきます。
これは、夢にも思わないことでした。早速十三世に報告し、お礼を言わないわけにはいかないと、お墓参りにやってきたというわけです。
恩ある人のお墓を詣でていると、心が洗われた気分になります。
お墓もきれいに清めて、気分もスッキリ。
また、今日から改めて頑張っていこうという気持ちになります。いろんな思いを込めて、1カ月間、富樫を勤めさせていただきます!
さて、今週のBS日テレ『片岡愛之助の解明! 歴史捜査』、10月8日の放送は、『謎のリーダー 天草四郎の正体を追え!」をお届けします。
先日、生まれて初めての3本撮りという貴重な経験をさせていただきました。内容が違って面白かったです。
「片岡愛之助の解明! 歴史捜査」(C)BS日テレ
キリシタン一揆と呼ばれる島原の乱を率いた美少年・天草四郎時貞。彼が何者であったのか、そういえば、今まであまり描かれてはいませんでした。
僕は3年前、四国で毎年行われているシスティーナ歌舞伎で、この天草四郎を歌舞伎にした『主天童子』に参加させていただいたことがあります。
『大江山酒呑童子』で有名な酒呑童子を天草四郎で描くという、人間の善と悪の部分を象徴的に浮かびあがらせた、大胆かつ斬新な作品でした。
僕は17歳の美少年役を、精一杯演じました。
今もまだできますよ。再演しようかな(笑)。
数万の民百姓を率い、幕府軍と戦った天草四郎はどんな人物だったのか。ぜひ番組をご覧ください。
過ごしやすい季節になりました。みなさんもたまには夜に空を見上げ、名月でも楽しんで風流を味わってください。
片岡愛之助
プロフィール
1972年3月4日生まれ。’81年12月、十三世片岡仁左衛門の部屋子となり、南座『勧進帳』の太刀持で片岡千代丸を名乗り初舞台。’92年1月、片岡秀太郎の養子となり、大阪・中座『勧進帳』の駿河次郎ほかで六代目片岡愛之助を襲名。’07年12月上方舞・楳茂都流の四代目家元を継承し、三代目楳茂都扇性(せんしょう)を襲名した。