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10月某日 東京

小学生の頃の出来事ですが、当時札幌のオーケストラに勤めていた母が、ある日片手に何か黒い、もこもこしたものを抱えて家に帰って来た事がありました。

「この子を見つけてしまった。もう飼うしかないと思う」と、母はそういって腕に抱えていたものを私たちの前に置いたのですが、それはなんと生まれて数週間くらいのつぶらな瞳をした仔犬でした。

「わたしがどんなにあっちへ行きなさい! と言ってもついて来ちゃうの。目が合ってしまって、きっと私、彼に選ばれてしまったんだと思う。だから、飼おう」と母。私と妹が、仔犬に選ばれたと言い張り、困っているような、でも大分嬉しそうな母の顔をぽかんと眺め、「あのう……ママ、ここは市営住宅なんだよ。わかっていると思うけど、飼えないよ……」と取りあえず、本来ならばその提案が叶わない事を伝えました。

その時点で私たち家族は既に「勝手にベランダに入って来ちゃうノラのふり」をさせながら猫も飼っていましたし、そのほかに動物好きの私は金魚にミドリガメ、ザリガニにクワガタまで飼育していました。そこに仔犬が増えるとなると、その市営住宅の狭い部屋はちょっとした小動物ランドになってしまいます。

「大丈夫よ、ベランダの下に犬小屋作って、そこで飼えばいいじゃない、泥棒避けにもなるし!」と自分の閃いた案に表情を輝かせる母。「明日一応、市役所に断り入れてみる。うちは子供ふたりでいつも留守番させていて不安なので、って言えば納得してもらえそうな気がする!」と、もうすっかり飼う気満々。

そして、母の目論み通りその捨て仔犬は「クロちゃん」と名付けられて、我が家の一員となったのでした。市役所が本当に母の言い分を認めてくれたのかどうか、真相は良くわかりませんが、とにかくクロちゃんはそこで我々と一緒に生活できることになったのです。

今思えば、当時の日本にはどこにもごく当たり前に野良猫や野良犬がいたように記憶していますが、今はめっきりそんな野良動物たちを目にする機会が減りました。猫はたまに見かけるとしても、野良犬に至ってはほとんど見当たりません。おそらく保健所の対処が徹底しているのでしょう。

中東のシリアに住んでいた頃は、普通にその辺でうろつく野良犬を見かけていましたが、日本のように行政がそれに対して積極的に対応していた気配もありませんでした。人には滅多に近づかない猫と違って、野生の犬には攻撃性もありますし、噛みつかれれば狂犬病のような重病にもなりかねませんから、人間にとってリスクの生じる危険な生き物が駆除されるのも、時代の進化を考慮すると避けられない事であるのはわかります。

増え過ぎたり危険だったりという理由から、駆除されてしまう動物は他にもいろいろいますが、昨今の日本の場合だと人間の生活区域に頻繁に出没するようになった熊も問題になっています。熊のような大型で自然界の弱肉強食のてっぺんにいるような、そして決して数も沢山いるわけでもない動物が殺処分されると、そこから醸される物議も無論さけられません。

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オーストラリアでは今年の夏、5年内に全国で総計200万匹の野良猫を殺処分するという計画が発表された

先日イタリアの1960年代初頭のニュースを見ていたら、中部のアブルッツォ地方で増え過ぎた熊が家畜を殺すという被害が頻発し、地元の人たちが困っている、というネタが取り上げられていましたが、その後その州の山に暮らす熊は沢山駆除されました。しかし、その為に今度は生息数がどっと減ってしまったというのです。今ではその地域の熊は保護の対象になっていて、何か人に都合の悪い事をしてしまっても駆除はせず、遠くへ追いやったり、脅かしたりするなどの処置を施して彼らの命は守られています。

そしてオーストラリアでは今年の夏、5年内に全国で総計200万匹の野良猫を殺処分するという計画を発表し、世界中に波紋を投げかけました。野良猫が増え過ぎた為にオーストラリア特有の野生動物が減少し、このままだと絶滅危惧種を増やしてしまうという懸念による対処だそうです。

確かに野良猫が増え過ぎると野生動物の生態系も変わってきてしまうでしょう。彼らの言わんとすることもわかりますが、でもそんな事を言うのなら、人間という生き物がこの地球上で一番絶滅危惧種を増やしている生き物なのではなかろうか、という気もしてしまうわけです。

様々な環境破壊材料や、森林伐採などの道路や宅地の拡大、その他たくさんの営利的目的によって、動植物だけでなく地球そのものにもダメージを与え続けている人間という動物についてはそのままにしておいていいのかという疑問を、〝猫200万匹殺処分〟という衝撃的なニュースを見ていると、どうしても感じてしまいます。人間たちの生活にとって不都合なそれらの動物を「害獣」と称するなら、自然破壊を食い止められない私たち人間も、その他の動物や地球にとっては「害獣」と同じカテゴリーなのではないでしょうか。

まずなによりも、山林での生息環境が狭められ人間の生活区域に現れてしまった熊にしてみても、オーストラリアの絶滅危惧種を増やしかねないくらい繁殖してしまった野良猫にしてみても、なぜそういうことになってしまったのかという理由もよく考えてみなければなりません。

そういえば秋田県では野良猫殺処分ゼロの試みがスタートしたそうです。繁殖を防ぐため野良猫の避妊手術の予算も確保したそうですが、もちろんそれには住民の協力も必要になってくるわけで、取りあえず飼い主のいない猫の命は守りつつ、増やさない方向にする、というコンセプトで実践されているのだそうです。猫のような生き物の命を慮るプロジェクトとして、自治体が積極的になっていたり、住民たちが野良猫たちを単に処分すればいいと思っているわけではない、そんなニュースを聞くと少しほっとします。

私の大好きな宮沢賢治の作品に「なめとこ山の熊」というものがあります。熊のような風体をした熊撃ちの男が、そのうち熊の言葉や気持ちが分かるようになってしまい、熊の命を奪う行為に疑問を感じて葛藤する、というあらすじの物語です。

生きていくためにそれぞれの命を狙い合いながらも、お互いが相手に対して抱く命へのリスペクトが感じられるこの物語をたまに読み返してみると、他の動物には無いのに人間という動物だけが持っている、自然界に対する横柄さというものを自覚せずにはいられなくなるのです。

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