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1月某日 北海道

先週末から今週にかけて日本全国が寒波に見舞われる中、仕事で北海道の実家へ帰った私は、久々に容赦のない凍てついた空気に思い切りパンチを喰らったような気分になりました。

 

早朝、玄関に置かれた温度計をのぞいてみれば表示されている温度はなんとマイナス19度。空は抜ける様な晴天なのに、外には5分と佇んでいられません。既に起きていた84歳の母が、16歳のゴールデンレトリバーを連れて散歩へ出かけていこうとするのを見て「どちらも凍え死ぬからやめて!」と阻止するも、「慣れてるから大丈夫よ」と全く動じる気配もありません。「あんたと違って私は寒いのは平気なの」と一言。とはいえ、さすがに老犬の身にもその朝の寒さは過酷なものだったらしく、数メートル先で用を足したら、さっさと家へ戻ってきてしまいました。

 

子供の頃から私は母に、なぜ北海道ではなくもっと暖かい地域に移り住まなかったのかと幾度となく問いかけてきました。DNAの半分は九州のはずなのに、彼女には南の地域への嗜好性や興味が全くありません。1960年代初頭、札幌交響楽団という新設のオーケストラに入団する為、それまで暮らしていた東京から北海道へ移り住んだ母は、当初はとにかく北海道の土地の広さと大自然に感動し、「ここはまるでヨーロッパみたい!」と歓喜して過ごしていたそうです。確かに北海道の平野では視界の8割が空だったりしますし、植生も津軽海峡を隔ててがらりと変わります。そしてそこに生息している動物の種類も生態も違ってきます。

 

フィレンツェで画学生をしていた頃、帰省の際に根室や知床など道東を巡った私は、イタリアの友人たちに流氷の上のアザラシやタカ、クマやフクロウの写真の絵はがきを送った事がありました。日本といえば富士山や京都のイメージしか無かったという友人たちはその動物の絵はがきを受け取って、海が氷で覆われたり、シベリアやアラスカにしかいないような動物が日本にも生息していることを知って驚いたそうです。今や北海道は、香港や台湾をはじめとするアジア圏の観光客にとっても人気の観光スポットになっていますが、実は日本にこれだけ寒い場所があるということは世界的にはそれほど知られていないようです。

 

そんな場所で子供時代を過ごしていながら、私は母と違って全く寒いのがダメな人間になってしまったのは何故なのか、思い当たる動機はいくつかあります。

 

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長野県人からのスピードスケート対決を受け入れてしまった私

北国の学校では、冬の間、体育の授業では冬のスポーツをさせられると思うのですが、私の地域での課目はスピードスケートでした。降雪があると生徒は授業返上で校庭にかり出され、皆で腕を組んで軍隊の行進のように雪を足で踏み固めさせられるのです。温度が下がる夜間になると教師は日々交替でその校庭に水まきをし、何日間か掛けて大きなスケートリンクを作るのでした。そんな辛い思いを重ねて出来上がったスケートリンクで、我々生徒は週に何時間か、氷の上を誰よりも早く滑る為の練習をさせられるのですが、寒さの中で行われるこの競技には身体的苦痛や危険も伴います。

 

足の指は霜焼けになるし、手はかじかむし、吹雪の中では前も見えないから生徒に追突もするし、転べば後ろから滑ってきたスケートの歯で手の指を切断される危険もあるし……。

 

授業の度、私は寒さで目を潤ませ、鼻水を啜り上げながら、「だいたい、こんな思いまでしてスピードスケートという競技を習得したところで、将来、果たして自分たちの人生にとって役に立つことがあるのだろうか」という疑問を拭うことができませんでした。将来、オリンピックに出場するスピードスケート選手にでもなるのなら別ですが、そんな可能性を持った子供は何十人に、いや何百人にひとりくらいの確率しかいないでしょう。

 

まだフィギュアスケートなら優雅で絵になるし、スキーなら美しい雪山を視覚的に堪能することも可能です。何よりフィギュアもスキーも、お洒落をして、カップルや仲間でも楽しむこともできますが、スピードスケートの場合はそういうわけにはいきません。お洒落どころか、ひたすら前を向いてまっしぐらにどれだけ早く滑れるかを競い合うこの競技は、そもそも甘く愛情を囁き合うには適していませんから、デートの素材にもなりません。

 

冬の嫌な思い出はこのスピードスケート以外にもまだあります。小学校4年生の時、友達と近所の雪山からプラスチックのソリで滑走中に横転、私は足を捻挫して2ヵ月もギプスと松葉杖の生活を強いられました。あの時の痛さは今も忘れる事ができませんが、周りの子供ら数人が激痛に涙で耐える私の顔を見ながら「マリちゃんの顔へん! おもしろい、おかしい!」とゲラゲラ笑っていた、あの過酷な情景も一生忘れる事はないでしょう。

 

大人になってからは免許取得25日目でスキーに行く途中、山の中で車がスリップを起こし、運転席に突っ込んで来たガードレールの先端に脇腹を擦って肺胞が潰れるという大惨事を起こしたこともあります。カナダのケベックからボストンへ向かう道路でも大吹雪の中、突然視界に表れたシカの大群を避けようとハンドルを切ってスリップし、危うく横転しかけた事もあります。

 

真冬にはイタリアのどの地域よりも気温が下がる盆地の都市フィレンツェで暮らしていたときも、光熱費を支払えず、ガスも電気も止められた中で過ごした冬の日々はいくら貧乏が必至の画学生とはいえ、正直シャレになりませんでした。ひもじくて、寒くて、屋根はあってもほぼホームレスのような思いを強いられていたあの頃は、脳裏に何度もアニメ『フランダースの犬』の最後のシーンが思い浮かんだものです。

 

そういえば、シカゴに暮らしていたころは、それまでに体感したことのないマイナス三十何度とやらを経験しました。眼球の表面に薄氷が張りそうな寒さの中を歩きながら、札幌にしてもシカゴにしても、こんな非人道的気温になる場所に街を作ろうと思い立った最初のやつは一体どこの誰だよ!? と、あてどもない怨嗟にうち震えたこともあります。

 

冬には冬の良さがあることも判っています。冬に雪を見ながら浸かる露天風呂なんぞ最高です。にしても、ちょっとでも多めに雪が降れば交通機関は麻痺するし、交通事故は増えるし、滑って転ぶ人も増えるし、人間という生き物も冬にはじっと動かずに冬眠をしていたほうがいいんじゃないか、と思えるようなトラブルが多過ぎます。

 

そんなわけで、年明け早々北海道で久々にヘヴィ級の寒さを経験した私ですが、先日、たまにあうお仲間のひとりから「ヤマザキさん、今度長野県人とスピードスケート対決しませんか?」という驚きの誘いがありました。長野県も地域によってはスピードスケートが冬の体育の必須科目だったそうです。一瞬「なんだこの誘いは!?」と戸惑うも、3秒後には「どれ、試しにやってみるかな」と受け入れモードに入っている自分に気がついて動揺しました。しかし、この対決で勝つことができたら、私は自分がスピードスケートという競技にあれだけ過酷な思いをつのらせながら習得したことに対して、やっとその意味を見出すことができるかもしれません。

 

まあ、ほぼどうでもいいことですが。とにかく、早く暖かくなりますように!

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