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7月某日 北イタリア・パドヴァ

 

数日前のネットのニュースで、世界長者番付の首位が一時的に『アマゾン』のCEOジェフ・ベゾス氏になったという記事を見かけました。総資産額906億ドル(約10兆円)。あまりに巨額過ぎて、全くその価値が実感できません。首位はすぐにマイクロソフトのビル・ゲイツ氏に抜かれたようではありますが、まあ、でも世界中に顧客を持つ超巨大ネット通販会社なわけですから、それだけの資産があるというのも頷けます。

 

アマゾンといえば、自分も買物目的でやたらと頻繁に使っているネット通販サイトですが、購入のみでなく漫画やエッセイなど自分の本も販売してもらっていることを考慮すれば、本当にいつの間にか自分の生活とは切っても切れない存在になっています。

 

もちろん通販サイトはアマゾンだけではありません。他にも沢山あるのですが、アマゾンであれば私のように世界のあちこちを移り住んでいても、条件さえ整う商品であればどこへでも配達してもらえますし、しかも欲しいものが他国にある場合は、その国のアマゾンから取り寄せる事もできる利点があります。そんな理由もあって、私はアマゾンのヘビーユーザーになっていると言えますが、私のような、または私以上の利用者は、きっと世界に数えきれないくらいいることでしょう。

 

今ではあまりにアマゾンで買い物をするのが当たり前になっていて、一体いつからこのネット通販を使い出すようになったのか記憶にすらありませんが、その数えきれないくらいの購入履歴には、電子も含む書籍やDVDだけでなく、お米からペット用品、トイレットペーパーなど生活に必要なものが延々ずらりと並んでおり、私がいかに全く外へ買い物に行かない人間なのかが窺い知れる有様です。何せ原稿仕事で忙しくて家から出られない場合でも、机に座ったまま、目の前の画面からクリックひとつで必要なものが、今ならその日にだって届けてもらえるのです。買い物へ行くのが嫌なほど怠惰だと実感するようになったのも、はっきり言ってこの通販サイトを利用するようになってからでしょう。

 

でも、たまにですが、やはりゆっくりと棚に並んだ様々な商品をいちいち物色しながらショッピングがしたい、という衝動に駆られる時もあります。その場合はスーパーマーケットまで出向くわけですが、ところがどういうわけか、スーパーマーケットの中にいる時でさえ「よし、これはあとでアマゾンで注文しよう」という判断をしてしまうことがあります。荷物が増えそうになった時などは特にそう思ってしまうわけですが、先日イタリアでニュース番組を見ていたら、この国(イタリア)でも最近街中の店が客にとって“アマゾンで購入する前の実物を手に取ってみられる展示場”と化している、という問題を取り上げていました。

 

私だけじゃなかった、と思いつつも、何気にアマゾン依存になりつつある危機感も煽られました。ニュースも、そういった消費者の動向によって、ただでさえ大手の量販店の郊外進出により小売店が消え去る中、ネット通販が幅を利かせ過ぎると今度は量販店ですら太刀打ちができなくなる日がくるかもしれない、という警鐘を鳴らしていました。

 

しかも、むかしは音楽配信か書籍を調達することがメインだったはずなのに、調べてみたら今では『お坊さん便』という法事法要手配チケットなんてものまであるではありませんか!

 

アマゾンに35,000円払えば(戒名付きだと55,000円~)、お坊さんが家に来てくれるなんて、これはさすがに驚きました。しかも、場合によっては在庫切れの時もあるらしい、というのですから、それなりの数の利用者がいるということでしょう。『お坊さん便』は発売当初物議を醸したようですが、未だにアマゾンで検索すれば出て来ますし、カスタマーレビューの数も結構あります。需要はしっかりあるということです。

 

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「お店屋さんごっこって何?」という子供も

勿論、社会にはこんなアマゾンの商法に対して批判をする人たちも少なくありません。

 

そもそも、私がシカゴに暮らしていた頃、街中からどんどん書店が消えていき、本を手に取って買うことがかなわなくなりつつありましたが、それもアマゾンをはじめとする書籍通販サイトの影響が大きいためでしょう。

 

フランスでは反アマゾン法という法案が可決され、書籍の無料配送システムが禁止されました。ただ、交通機関を使って書店まで行くなら、配送料を払ったほうが安上がりと解釈する消費者もいるので、アマゾンでの書籍購入数がこの法令によってどれだけ抑制されることになったのかは、実際のところわかりません。

 

私も日本に居る間は週に何度もアマゾンの宅配が届きますが、その度に宅配のお兄さんに申し訳ない気持ちが募ります。下手をすると1日に2回も3回もこの同じお兄さんから品物を受け取る事もあり、思わず「ほんとに申し訳ありません」と謝罪したこともありました。「え!? いや、仕事ですから」とお兄さんは疲れた顔でも爽やかに微笑んでくれましたが、やはり、自分の怠惰さや欲のために誰かに過酷労働を強いている感覚というのはいただけません。

 

調べてみたら、アマゾンが普及するようになってから、都市部だとドライバー1人当たりの1日の荷物配達個数が200個という計算になるそうで、再配達も含めると1時間に少なくとも25個の荷物を届けなければならなくなります。とんでもない数です。

 

勿論、過酷労働は品物を扱う宅配業者の人だけでなく、それ以前にアマゾンの倉庫で働く人たちについても考慮しなければなりません。

 

かつてアメリカでアマゾンの倉庫内作業に潜入した記者のルポの記事を読んだ事がありますが、そこには過剰な労働環境の様子が綴られていました。荷物詰めのために雇われている人々は遅刻をしただけでも反則金が取られ、作業中も無理をして気絶してしまう人もいると記されていました。これが本当なら、古代ローマ時代の奴隷制と似たり寄ったりです。

 

ちなみにポルトガルのリスボンに滞在している時は、買い物は全て近所の小売店でするようにしています。さすがに食料品を扱う店は大手スーパーマーケットの進出によって姿を消しつつありますが、電化製品などは家の近所の慎ましい夫婦が営んでいる小さな電気屋さんに行くことにしています。多少量販店で買うより値段が高くついても、多少流行りの品揃いはなくても、かまいません。周りの古くからの住民も、皆そういった馴染みの小売店を利用しています。そこには人々の中にある小売店への思いやりの気持ちが働きかけているからなわけですが、そもそも他者を思いやるという人間の発達した精神状態は文明にとっての要です。

 

店があって、そこで物が売られるという商売のシステムは遥か太古からあるものですし、いつの時代もそうやって小売業を営んでいる人へのリスペクトは人々の中にあったはずです。そういえば我々も子供の頃はお店屋さんごっこなるものをして楽しんでおりましたが、あれもお店を営む人々へのリスペクトのかたちと言えるでしょう。

 

しかし、アマゾンを始めとする通販サイトの進出によって、小売業界が制されてしまう日も、このままだとそう遠くない未来にくるかもしれません。そうすると、小売業という古代からの文明がそこで途絶えてしまうことになるのです。

 

アマゾンは、私自身の作品を売ってもらっている通販サイトですし、先述したように海外のどこにいても必要なものが調達できるという意味では大変有り難い存在ではあります。ですが、やはりどこかで冷静にこういったネット通販の商法について振り返り、利用のしかたなどをじっくりと考え直してみる必然性はありそうです。

 

さもないと未来の子供から「お店屋さんごっこって何?」と言われてしまうかも……っていうか、そんな遊びをする子供はもしかすると、もう存在しないのかもしれません。

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