長崎県に生まれ、看板店、ちり紙交換、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家になった蛭子能収(67)。本誌読者からの相談に答える!

 

【Q】「認知症の母の介護で疲れ果て、私まで倒れてしまいそうなほどです。また介護しながら、もし自分が認知症になったらと思うと不安です。蛭子さんはどうお考えですか?」(いわし雲さん・53・主婦・千葉県)

 

【A】「オレもこの問題について考えている」(蛭子能収)

 

実はこの前、テレビ番組で医者に診てもらったら「軽度認知障害」と診断されて、このまま放置したら4年後に認知症になるといわれたんですよ。しかも、その後、医者から事務所に電話があって『テレビ用に大げさに言ったのではありません。真面目に考えてください』と念押しされて。今、病院で投薬と脳を活性化させる運動をして進行を抑えているところですから、認知症については、とても人ごとではありませんね。

 

とにかくアナタが倒れてしまったら、なにもならないので、オレよりも役所や親戚に相談したほうがいいですよ。

 

自由に生きてきたオレは、他人の自由を奪ってまで介護されたくないですね。物忘れや名前が思い出せないくらいなら、まだいいですが、24時間、人に介護してもらわないと生きていけない状態になったら大変。家族だって苦労するし、お金だってかかります。

 

そうなったらオレは安楽死を選びますね。オレは「日本尊厳死協会」に入っていて、無駄な延命治療を拒否しています。日本でも安楽死を受け入れる時期に来ていると思うんですよ。死ぬのは恐いけど、ただ生きていることには魅力は感じませんね。そういう人は増えていると思いますよ」

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