【今週の悩めるマダム】
三浦春馬さんが急逝されたことが、まだどこか信じられません。熱心なファンだったわけではないのですが、いつもテレビで見ていた人がいきなり亡くなられて、しかも自死と報じられ、やるせない気持ちになっています。コロナのこともあって、ずっと気持ちがめいります。心にぽっかり空いた穴がふさがりません。 (大阪府在住・40代女性)
テレビで大活躍されていたからこそ、そして、まだお若く、輝かしい未来があったからこそ、あまりに悲しい出来事でしたね。どういう理由があったにせよ、予期せぬ不意なお別れのせいで、残された多くの人たちの心にぽっかりと穴が空きました。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報を知ったときも、僕はやはり同じような気持ちになってしまいました。熱心なファンだったわけではないということですが、たぶん、同じ時代に同じ星の上に存在していたというだけで、お互い自然と励まし合えていたのでしょう。
その連帯感に穴が空くから心が痛いのです。輝いていた人が忽然と消えるから、寂しいという感情を通り越して、得体の知れない心の不安を覚えるのだと思います。病気や事故ならば仕方ないと言い聞かせることもできるのかもしれませんが、そうじゃなかった場合、なんとかできなかったのか、という無力感が人々の心に巣食うのでしょう。1万km近く離れた国にいる僕でさえ、暗く重たい気持ちに引き込まれてしまいました。亡くなられた春馬さんのことはまったく知らなかったのですが、生前の輝いた笑顔の写真を見て、残念でならない気持ちがこみ上げてきました。
そういうときにできることは、残された者たちが寄り添い合うこと。家族や友人など、身近な人をいつも以上に大事に労るのがいいでしょう。いまのあなたには、人の温もりが必要です。僕はいつも、自分に言い聞かせる言葉があります。厭世的な気持ちに支配されたときに、この言葉を自分に呟くようにしています。「死にたいと思ってもいいから、生きなさい」そして、僕の場合は、息子の部屋に行き、「なにも問題はない?」と話しかけたりします。「大丈夫だよ」と息子は答えます。「でも、もし、なにかつらいことがあっても、心配するな。パパがいるからね」“パパがいる”という言葉は自分が生きる使命感を意味します。そういう励ましは、ときに意外な連帯感を生むことがあります。息子のほうは「自分は守られている」という安心感を得られ、同時に、僕のほうは生きる糧を得られるのです。
それにしても、亡くなられた春馬さんのことを思うと胸が痛みます。見ず知らずの人だけど、僕は手を合わせ、「ごめんね」と呟きます。この「ごめんね」は謝罪ではありません。フランスでは、誰かが亡くなったときに、「ごめんね」と言います。それは、故人に寄り添う気持ちなのです。いっぽうでその「ごめんね」は、いまを生きる自分へ向けたエールの言葉でもあります。死にたくなるときはだれにでもあります。そういうときに、「死にたいと思ってもいいから、生きなさい」と呟いてみてください。きっとその言葉が、寂しさや生きづらさからあなたを守ってくれるでしょう。
【JINSEIの格言】
そういうときにできることは、残された者たちが寄り添い合うこと。家族や友人など、身近な人をいつも以上に大事に労るのがいいでしょう。いまのあなたには、人の温もりが必要です。
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