「知事を辞めたのが、昨年の12月24日。5千万円の問題は、僕自身の至らなさを痛感した事件でしたから、その日から反省を繰り返す“謹慎生活”を送っていました。辞職直後は、自宅前に記者が大勢いましたので、ほとんど外には出ず、食事は仕出し屋の弁当などを食べて過ごす、そんな毎日が数カ月続きました」
そう話すのは、’13年9月、’20年の東京五輪・パラリンピック開催決定の立役者として、一躍時の人となった、前東京都知事の猪瀬直樹氏(67)。だが、その決定から2カ月後、人生最大の“スキャンダル”が明るみに出る。
’12年12月の都知事選前に、医療法人・徳洲会グループから5千万円を借りていたことが発覚。当初は選挙資金ではなく、「個人的に借りた」と議会や記者会見で釈明していたが、混乱の責任を取って知事を辞任する。まさに天国から地獄―—。史上最多得票(433万8千936票)で東京都知事に当選。彼の手腕に多くの都民が期待を寄せていた矢先の出来事だった。
「選挙で投票してくれた方に、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」
’14年3月28日、東京地検特捜部は、選挙資金を選挙運動費用収支報告書に記載していなかった虚偽記載の罪で、猪瀬氏を公職選挙法違反で略式起訴。同日、東京簡易裁判所は略式命令を出し、罰金50万円(公民権停止5年)の処分が下った。
知事を辞めて謹慎生活を送る猪瀬氏は、自分の心にぽっかりと穴があいていることに気づいたという。それは、政治家という仕事を失ったからではなく、妻・ゆり子さんがいないことだった。昨年7月、ゆり子さんは突然の病に倒れ、帰らぬ人となったのだ。
「妻が亡くなったのがあまりにも急で、心に空洞ができたようでした。ずっと、何も手につかない状態が続いていましたから、まずは妻のことを思い出すことにしました。一つ一つ丁寧に“妻の存在”を確認することが、妻の供養になるのではないかと思って」
思い出をきちんと言葉に置き換えれば、心の喪失感を埋められるかもしれない……。猪瀬氏は1冊の本を作ることを決意する。10月に出版した『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジンハウス)は、単なる夫婦愛を描いた作品ではなく、まるで妻への懺悔本のようでもある。そしてこれまで語られることのなかった五輪招致の舞台裏。知事を辞任することになった「5千万円の真実」も赤裸々に明かされている。
「妻、都民、支持してくださった方々すべてを裏切ってしまった。本にはその懺悔の気持ちを込めて書きました。すべて包み隠さず正確に書いてありますので、その全体を理解していただきたい」