キャスターから、突然、政治家に。所属政党の反対を押し切って都知事となった小池百合子さん(64)。築地市場の豊洲への移転問題などで、抵抗勢力に「小池劇場」を仕掛ける、この度胸のよさはどこから来るのか。そんな、小池さんの原点とは−−。
「ユリのおうちには広い芝生の庭がありました。いちばん印象に残っているのは、彼女が着るワンピースなどのかわいい服。すべてお母さんの手作りということでしたが、それは『人のまねはするな』という方針だからと聞いて、そうか、洋服から徹底していたんだと驚かされたものです」
そう語るのは、小池さんとは小中高の同級生で、親友の斎藤靖子さん(64)。’52年7月15日、兵庫県芦屋市で生まれた小池さん。父親の勇二郎さんは石油商として家を空けることも多く、母親の恵美子さんは、小池さんに「自分を守る特技を持ちなさい」と言って自立心を尊重する子育てをした。
岩園幼稚園、市立岩園小学校を経て、私立の甲南女子中学・高校へ。中学時代についたあだ名は、スラリとした長身から“ラージ”。ソフトボール部や英語サークルでも活躍した。ソフト部顧問の松森正博さん(77)は回想する。
「お嬢さま学校では珍しく、自主練習してピッチングの腕を磨くような根性がありました。
高2のとき別棟できょうだいで暮らすようになったのも、父・勇二郎さんが選挙に出ることになり、自宅が選挙事務所代わりに使われたため。無類の政治好きで、若き石原慎太郎氏の支援などをしていたが、小池さん17歳のとき、自ら衆院選に立候補したのだ。
「落選したら、どうなるの」と問う娘に恵美子さんは、「一家心中かしらね」と答えたという。
結果は落選。小池さんは多くの同級生たちとは違い、学内進学をせずに関西学院大学社会学部へ。しかし、ここも5カ月で中退して、「将来性のある言葉を学びたい」と、エジプトのカイロ大学文学部へ留学する。父親の影響もあったが、同級生の岡本三千代さん(64)はこう話す。
「私たちは良妻賢母の教育を受けて、お嫁さんになることを夢見ていました。でも、在学中にラージが言ったことがあったんです。『夫が死んだり、何かあって一人で生きていくときのことを考えていなきゃ』と。いつもそんな話を母娘でしていたラージなら、カイロ大学という選択もありなんだと、驚きはしましたが、違和感はありませんでした」
女らしくでも、男らしくでもなく、あくまでも自分らしく。小池さんの核は、自らも夢を追い続けながら、個性的でユニークな子育てを実践した両親のようだ。究極の男社会である政界に、果敢かつスマートに斬り込んでいく小池さん。そんな姿に私たちは快哉を叫ばずにいられない!