日本人は逆境に強いのかーー。東日本震災後3年7カ月が過ぎても街の復興は順調だとは言えない。福島第一原発の廃炉もまだ長い道のりを踏み出したばかり。だが、そこで暮らす人々は、被害をバネにこれまでできなかったことに挑んでいる。
福島県いわき市の平窪にある欧風創作菓子店「ふたば茶亭」は、9時半の開店早々、ひっきりなしに客が訪れ、そして笑顔で店をあとにする。客の多くが買い求めるのは「郷里の葉パイ」。「ふたば茶亭」は、原発事故により、帰宅困難区域に指定されている双葉町の人たちに28年間、愛されてきた店だ。
「私が生まれ育った町で、母が長年、守ってきた店。原発事故で終わらせたくないと思い、震災半年で移転オープンさせました。当時、65歳を過ぎていた母は、お店と一緒に生活すべていわき市に移すことになり、精神的にもきついものがあったようです。双葉町を、少しでも思い出して、励みにしてもらえたらとリーフパイを作ったんです」
そう語るのは現在、店を切り盛りするパティシェの眞柄正洋さん(44)。眞柄さんの母親への思いから生まれたのが「郷里の葉パイ」だった。1袋に2枚セットで、双葉の復興への願いも込められている。
「通販のお客さまのなかには“福島アレルギー”なのか、突然キャンセルされる方もいます。海産物や農作物も、福島産というだけで拒否する人もいる状況。それがなくなったときが本当の復興だと思っています。それまでは、この屋号をつなげていくことが僕にとって大切なこと。文句を言っていられないし、福島のものを避ける人を非難するわけにもいかない。これからも人が喜ぶものを作っていくしかないんです」
いわき市内の小名浜で、口コミで人気に火がつき、「いま日本でいちばん、手に入れづらい」と全国紙で報じられたのが「ゼリーのイエ」のゼリー。店主・杉山洋子さん(65)は33年前に、自宅でゼリー専門店を開店して以来、いつも変わらぬ作業を続けている。
「朝4時に起きて、地元の放送局のラジオ番組を聴きながら、ゼラチンをゆっくり溶かしていくのが私にとっては至福の時間。昔は家庭用冷蔵庫1台だったのに、今は業務用冷蔵庫4台。それでも、この作業だけは譲れませんね」
津波は店舗まであと800メートルと迫ったが、その2カ月後に店を再開。「このゼリーを残したい」と、10年前から手伝うようになった長男・修一さん(37)とともに作業を続ける。
「これからもお客さまの顔が見える店頭販売にこだわりたいですね。だって、ゼリーは生きていくうえでは、なくてもいいもの。でも、それでワクワクしてくれるんですから。この町で私ができるのは、ゼリーを作り続けることだけ。新しいゼリーの開発は年に1〜2個くらいですが、少しずつでも前に歩いていくことが大事だと思っています」