2月1日の朝5時ごろ、ジャーナリスト・後藤健二さんの“殺害映像”がネットにアップされたという、衝撃的なニュースが列島を駆け巡ったその夜、成田から飛び立っていった女性フォトジャーナリストがいる。シリア人難民キャンプを取材するために。なぜ、いま、よりによってヨルダンに向かおうとするのか。
安田菜津紀さん(27)。新進気鋭のフォトジャーナリストだ。菜津紀さんは東南アジアの貧困地帯や、シリア、ヨルダン、ウガンダなどの紛争地帯に入り、ストリートチルドレン、HIV感染者、難民家族やその子どもたちのありのままの素顔を写真に収めてきた。
’12年には『HIVと共に生まれる〜ウガンダのエイズ孤児たち〜』で第8回名取洋之助写真賞を受賞。その体験に基づいた明晰かつ論理的な語り口で、20代の論客としても評価が高い。菜津紀さんが初めてシリアを訪ねたのは’07年。大学3年のときだった。
「イラク人の友人が、難民になり、シリアに出国したので、彼に会いに行ったんです。人々は温かく歴史も古く、風景も建物も美しい国でした」(菜津紀さん・以下同)
’09年まで、シリアと日本を何度も往復していたが、’11年1月、シリアで騒乱が勃発。入国が危険になってしまった。’12年8月、ジャーナリストの山本美香さん(享年45)がシリアでの取材中、銃撃戦に巻き込まれ殺害された。面識があっただけに、菜津紀さんのショックは大きかった。
その後、菜津紀さんがレポーターとして活動していた、NPO法人「国境なき子どもたち」がヨルダンのシリア難民キャンプに入り、菜津紀さんも’13年秋から、ザータリ難民キャンプに通っている。今回の渡航も、難民キャンプ訪問が目的だ。内戦を取材するために危険地帯に入るわけではない。
「戦争って、火花が散っているところにはスポットが当たる。でも、目に見える火花が散らなくなった途端、報道はやむ。実際は、戦争が小休止したり、終わってからの人々の生活のほうがグチャグチャなのに。人の苦しみって、本当はそこにある。私が目を向けたいのは、そこなんです。派手で目立つ火花じゃない」
彼女の信念は揺るがない。後藤さんが命を懸けて伝えてきたことも、そこにあった。
「だから、私は、光の当たりにくい場所に行くべきだと考えています」
3日深夜(日本時間)、アンマンに到着した菜津紀さんは、さっそくツイッターで精力的に現地の情報を発信し始めた。
《ヨルダンでは会う人会う人に声をかけられます。「(湯川さん・後藤さんは)残念でしたね」「日本は大丈夫ですか?」》(3日23:24)
5日未明には、シリア難民のリハビリ施設に入っていた。
《シリア人医師が静かに言う。「日本人が殺されたこと、本当に残念です。Kenjiさんが残してくれたメッセージを聞き、彼がいかにシリアの民に近い存在だったかを知りました。多くの人に届きますように」》(5日0:20)
菜津紀さんは伝え続ける。写真で。言葉で。国も人種も宗教の壁も超え、人が人の痛みや嘆きと向き合える寛容で平和な世界が来る日まで−−。