「はい。“絢加リン”こと薄葉絢加(うすはあやか)で〜す。今日も元気いっぱいですよ!」
3月最後の金曜日の午後2時。北海道札幌の地域FMラジオ局・FMアップルでは人気番組『アップル・スマイル』がオンエアとなり、ママさんDJ薄葉絢加さん(28)の声が響いた。
男性DJが、1児の母でもある絢加リンに「ここのところ、お子さんの小学校への入学準備で大変だったんじゃないですか」と問いかける。
「そうなんです。どんどん大人になっていく。保育園に通い始めたころは『ママ〜、ママ〜』って泣いていたのに、今じゃ金曜日なんて、このオンエアがあるから『絢加リン、じゃあね!』ですから」
たっぷり3時間、熱いトークを終えた彼女がDJ席のいすから器用に乗り移ったのは車いす。ふだんの顔に戻ると、右手で車いすを操作しながらスタジオを後にした。
絢加さんは「鎖骨頭蓋異形成症」という20万人に1人といわれる先天性の病に侵されている。遺伝子異常が原因とされ、骨の発育不全で骨折を繰り返しやすい。また。頭蓋骨の隙間である大泉門は通常生まれたときは開いていて、成長とともに閉じるのだが、絢加さんはそれが長い間閉じなかった。それに鎖骨が形成不全のため、なで肩に見える。現在のところ有効な治療法は見つかっていない。
中学校に入学初日、「薄葉さんは、みんなとは違います。このコは障害者です。普通じゃないですから」と女性担任が教壇から言い放った。直後から上履きに画鋲を入れられるなどのいじめが始まった。不登校になりかけ、リストカットも。一線を超えなかったのは、「アイツ障害児だから死んだんだって言われたくない」「見返してやりたい」という思いだけだった。
重い拒食症と戦っていた20歳のころ、友人の紹介で2歳年上の男性と知り合い、’08年1月に結婚。7月20日に、帝王切開で長女・夏音ちゃんが誕生。9カ月目での早産だった。
「2歳になったころ、夏音がこんなことを言ったんです。『ママのおなかはこれ以上、私が入っていると限界でダメだと思ったから、出てきたの』って」
わが子の誕生から1年余りで離婚することに。母子家庭の再スタートを切ってすぐの生後1年10カ月のとき、受診した遺伝外来の医師が言った。「お母さん、大丈夫。病気は遺伝してないですよ」。もっとも不安だった遺伝の可能性。このとき、絢加さんの病気は、「男子なら100%、女子なら50%の確率で遺伝する」という学説もあることを初めて伝えられた。医師に礼を言いながら、涙がどんどんあふれてきた。
しかし、平穏な母子の日々は、長くは続かなかった。’12年11月、左上腕部の痛みに気付き、診察を受けた結果、「軟骨肉腫、悪性度の強いがんです。手術をして切除しなければ、余命半年」という、残酷ながん宣告。
「私が死んだら、誰が娘の面倒を見るの。絶対に死にたくない」。そう思って臨んだ手術は成功したが、「5年間生存率は50%」との厳しい宣告がくだった。肩に骨の一部を移植した左足と、左腕はほとんど動かせなくなった。自宅へは車いすで戻った。1カ月の入院の間にクリスマスも正月も終わっていた。夏音ちゃんは寂しさに耐えかねたようにこう言ったのだ。
「ママ。死なないよね、夏音を置いていかないよね、夏音を1人にしないよね」
“この娘に、私が生きた証しを遺してあげなければ――”。絢加さんの頭に浮かんだのが「声を遺す」という手段。FM放送局宛てに手紙を書いた。《こんな私でもラジオパーソナリティとかできたりしないでしょうか?》。それから2カ月後、DJデビュー。
絢加さんは「声を遺す」作業を始める。毎週オンエアをCDに録音していくのだ。それから2年。番組のなかで、子育てやがんの早期発見の呼びかけなど、絢加さんの実体験に基づく話題に、やがてリスナーからのメッセージが続々と届くようになった。
「夏音も小学生になれば、園児のときにはなかった悩みが出てきます。友人関係や勉強、好きな人もできるだろうし。もしも私が、夏音が大人になる前に死んでしまっても、これを聴けば“ああ、こんな声、こんなことをお母さんは考えていたんだ”ってわかってもらえるだろうと思うんです」
もう150枚以上になった録音CDは、夏音ちゃんがいつでも聞けるように、部屋の一角にファイリングされている。