毎年およそ3億人を感染症から救っているとされ、今年のノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった北里大学特別栄誉教授の大村智さん(80)。その研究生活を支え続けたのが、15年前の’00年に亡くなった妻・文子さん(享年60)だった。
新潟県糸魚川市に住む、文子さんの兄・秋山昌廣さん(85)も義弟のノーベル賞受賞に感慨深げだった。
「何年も候補だったのになかなか受賞できないでいたから、もうダメなのかと思っていました。きっと妹も天国で大喜びしていると思います」
大村さんと文子さんが結婚したのは’63年。
「大村さんが東京の都立高校に勤めていた時代に、文子と見合いをしたんです。当時、秋山家は糸魚川市でデパートを経営していました。実は父も私も、大村さんとの結婚には大反対でした。『研究ばかりしていてお金もないし、文子が苦労するのは目に見えている』って。でも文子は『将来必ず偉くなる人だ』と言い張って。最後は母が『結婚させてあげてください』と土下座をして頼んだので、父もやっと折れたんです」
だが秋山さんの心配は的中した。大村さんは研究費用や本を買うためのお金に困り、文子さんは毎月のように実家に無心に来ていたという。
「文子はそろばんが得意でしたので、結婚当初からそろばん塾の先生や学習塾の先生などをやりながら、生活を支えていたようです。実家に帰ってくるたびに、『夫がノーベル賞をとるまで死にものぐるいで頑張る』と、語っていました……」
そんな文子さんを乳がんが襲った。
「がんは再発も繰り返し、全身に転移していたのですが、僕の前で文子が『痛い』とか『苦しい』と言ったことはありません。彼女が亡くなる直前、アメリカで米国化学会の受賞式があったのです。『夫の晴れ舞台なんだから、どうしても同行したい』とドクターストップがかかっていたにも関わらず渡米しました。日本に戻ってきたときには、空港に北里大学病院の医療チームが迎えに来ていて、そのまま病院に……。文子が他界したのは、それから2カ月後のことです」
受賞発表の翌日の6日、報道陣の取材を受けた大村さんが、財布のなかから取り出したのは、文代さんと娘・育代さんが写った一枚の写真だ。
「12月の授与式には写真はちゃんともっていかないと」
そうつぶやいた大村さん。“いつか2人でスウェーデンに……”そんな、大村夫妻の長年の悲願が、ようやく叶おうとしている。