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(写真・AFLO)

『羊と鋼の森』(文藝春秋刊)が2016年の本屋大賞に輝いた宮下奈都さん(49)。いまもっとも書店員に人気な作家のひとりだ。受賞へのムーブメントは以前から密かに起きていた。’10年に初の単行本『スコーレNo.4』(光文社刊)が文庫化された当時も、書店員が同作を売るべくtwitterで“秘密結社”を結成。結果、書店員からの絶大な支持を基盤に増刷へと繋がったのだ。

 

福井県在住の宮下さんは17歳、15歳、12歳の子供を持つ母。小説を書き始めたきっかけは妊娠だったという。

 

「小説家になる前は本当に普通の主婦でした。娘がお腹にいたとき、長男は3歳で次男が1歳。次も男の子だろうと感じていて『男の子3人だと大変な毎日になる。だから、今のうちに何かやりたい』と思ったんです。本を読むことは好きでしたし育児日記は毎日つけていましたが、小説を書いたことはありませんでした」

 

そうして初めて書いた小説『静かな雨』が文学界新人賞佳作に入選し04年に小説家デビュー。3人目の出産直後だったこともあり、執筆と子育ての両立の日々が続いた。

 

「夫の仕事で京都にいて周りに身近な人もいなかったので、当時は本当に忙しかった。子供から目も離せないし、家事もやらなくてはならない。もっと書きたいけど、時間がない。いっぱいいっぱいでした。でも子供たちが大きくなるにつれて、自分の時間もつくれるように。今でも毎日お弁当を作りますが、以前ほどの大変さはなくなってきましたね」

 

小説の土台となる取材も、最近になってようやくできるようになってきたという。

 

「誰かに話を聞いたり現場を訪れたりしたのは、『羊と鋼の森』が初めてでした。それまでは資料を読んだり、映像を見たりしていました。打ち合わせで上京することはありましたが、それも日帰りか一泊まででした。振り返ると、取材必須の題材を無意識に避けていたのかもしれません。小説家である前に、母親だったのだと思います」

 

今回の『羊と鋼の森』はピアノ調律師の青年の成長を描いており、取材で何人もの調律師にじっくり話を聞いた。当時の宮下家は1年間、北海道のトムラウシという集落へ山村留学中。携帯の電波も満足に届かない地域での生活だったが、そこでの日々が家族を変えた。その様子はエッセイ『神さまたちの遊ぶ庭』(光文社刊)にも綴られている。

 

いくつになっても人は変われる――。『神さまたちの遊ぶ庭』に書かれていたその言葉どおり挑戦してきた宮下さん。同書ではパニック障害であることも明かしているが、闘病は福井に戻った今も続いているという。パニック障害とは、突然の激しい動悸や息苦しさと共に強い不安感を覚える病。宮下さんは、乗り物に乗ったときの恐怖感が強いようだ。

 

「北海道にいるときにパニック障害と診断され、なかなかよくなりません。小説を書くにも影響が出ていて苦しい思いもしています。今は落ち着いていますが、遠出には慎重になります。本屋大賞の授賞式のときも、途中でタクシーを止めてもらって、休み休みようやくたどり着きました」

 

そんな彼女を支えてくれるのは、ほかでもない家族だ。

 

「病気のことは子供たちも理解してくれています。ゆっくり様子を見ながら、きちんと向き合っていこうと思います。私は、今が“変わり目”だと思うんです。作家として次に何が生まれるのか楽しみですし、今回の受賞で子供たちから『よかったね!』と言われたのがとても嬉しかった。今までは私の小説を『読まないで!』と言っていたのですが、ようやく彼らにも作家として認識されたかなと思います。そして至らないところがたくさんあると思いますが、子供たちが自慢できるような母親になっていきたいと思っています」

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